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複業は「途中経過」なのか「最終形」なのか?

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複業ブーム、と言っていい状況が続いているが、その実践者の一人として少し立ち止まって考えてみた。

 

サラリーマンとフリーランスの複業を続けていると新たな発見や良いことが多い一方、それはそれで新たな悩みも生まれる。両立のための時間やスキルの部分は自分の意思と工夫である程度コントロールできるのだけれど、それ以外の部分。


例えばフリーランスの立場では相手を変えることは容易で、組まなければ良い、もしくは仕事を断るという選択の自由が常にある。反面、サラリーマンというのは社内の人間関係も顧客も選べない、ということにあらためて気付く。

会社の中でなかなか進まない組織の意思決定に苛立つことはあっても仕方ないよねと感じていた場面が、ベンチャーで週単位、月単位の身を削ぐチャレンジを繰り返している若い事業者と接することで、どんな意思決定も本当は5秒で出来る、するべきなんだということに気付く。

複業をする前はそれらが当然だし我慢、あるいは飲んで愚痴って発散、みたいな対応しか知らなかったのだけれど、それが実に不毛なことだとフリーランスの仕事がある程度長くなると気付く。

毎日相対している物事がコントローラブルかどうか、というのはとても重要なファクターなのだ。受け止められるストレスの総量には上限があって、しかもそこで使う気力体力は本来、事業の推進に使った方が数倍良い。ストレスに対処すること自体が、実は後退を意味している、とも言える。気力体力の無駄遣い。

なので、よくよく考えると、複業というのは途中経過なのか、それとも目指す最終形なのか? というジレンマに究極、突き当たってしまう。

「いやいや、それなら独立しちゃいなよ」と言うのは簡単なのだけれど、複業で一定事業化を経験しているフェーズでは、独立その事自体の本質的な困難さも知っているので、知る前よりも慎重になる心理がある。サラリーマンという形態のメリットが何なのかも、具体的・客観的にようやく理解できる。

退路を絶った起業の、その覚悟と重さ。だから、どんな規模や業種であっても、事業者の皆さんのことは心から尊敬しているし、凄いと思う。彼ら/彼女らとの会話は他愛のない話の中にそれぞれのこだわりと、アンテナの広さと商売根性が垣間見えて、大好きな時間だ。

一昨年に「LIFE SHIFT」という本が着火剤となって広がった、多様な働き方としての複業。「LIFE SHIFTいいよね〜〜」というフェーズはもう終わっている、終わらせるべきと思っているので、だから自分はどうするの、という足下を固める事が大切。

「複業」の響きに、もう酔っている時間ではない。さて、これからの日々をどのように設計していこうか。複業は途中経過なのか、最終形なのか、それともまったく別の状態なのか。新たな局面に、向かい出している。