skillnoteのブログ

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教える立場の人こそ、「上から目線」でなく。

「教育」という言葉が僕は昔から好きではありません。だって、「教えて」「育てる」って何かごう慢な感じがしませんか? 子どもは、あるいは大人もそうだけど、内面からの動機づけによって自分自身で成長していくもの。あくまで外的要因はそのきっかけでしかない。一方的に教えることで果たせる限界を、教える立場にある人間は謙虚に認識することを忘れてはいけない。


僕が生徒さん、学生さんや新入社員と相対するときに心がけていることは、いま目の前に見えている姿や発言やそこから得る印象ではなく、その先の成長を想像すること。具体的には5年後くらいに伸びやかに活躍しているイメージを描くようにしている。そう信じることで今ほんの少しだけ見えている「良い面」が際立って見えてくる。その人にとっての「答え」は、その人の中にしかない。それは本人さえ気づいていないこともある。だから、支援者はそれを信じてあげること。「君の中に、答えは必ずあるんだ」と。そして内面からの動機づけを邪魔しないように、少しだけそっと手を差し伸べて、本人が自分の意志で動くのを待つ。ただ待つのです。

 

とはいえ、相手とのコミュニケーションに臆病になってはいけない。明らかに道理や社会常識に反しているなど、間違っていることは正面から、シンプルな言葉で伝える。ポイントは一人称で話すこと。自分は君のこの点がおかしいと思う、と。その際に「周囲がこうだから」など世間の評価を根拠にしないこと。あくまで自分がおかしいと思って、そしてそれに気付いてほしいからあなたに伝えているのだ、という相手との二人の間でのコミュニケーションであること。その場は気まずいかもしれないけれど、その方がずっと伝わるし信頼関係がより強固になる、と思う。


ティーチングとコーチングのバランスのような技術論にはしたくないのだけど、結局は「主体性を磨く」ことが成長の一つのゴールなんだろうと思う。だから、その過程は最短距離である必要は全くないし、その時は無駄だと思った時間や誤った判断もすべて、自分自身の成長につながっていく。過度なティーチングつまり一方的な教えはそれを阻害するものだし、しかしそれが学校や企業内教育においてもまだまだ主流であることはもっと問題視していくべき事だし、改善に向けてのアクションをもっともっと社会が尊重していくべきだと思う。


教えと学び、答えの無い永遠のテーマ。やっと発芽した若葉が樹木となる手前には、果てしない時間と曲がりくねった道がある。だからこそ、それを支える立場の人間の一人として、謙虚に迷い続けていきたい。

 

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