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名刺の肩書きに「普通免許取得」とつい書いてしまっている問題

名刺の肩書き欄に何を書くか。SNSアカウントのプロフィール欄に何と記すか。自身で事業をされていたり、フリーランスとして何らか顧客と接する機会のある方にとっては一度ならず悩んだご経験があることと思う。

 

その上で何らかの肩書きを記すことになるのだが、特にフリーランスの講師業で時折見かけるのが、保有資格や過去の経歴をズラッと並べているケースである。

 

それを一概に否定するものではないのだけれど、受け取った相手(顧客)がその事実をどのように受け止めるのか、その結果どのような行動を期待できるのか、という点まで配慮や思考が行き届いていないと、単なる記号としてスルーされてしまうか、もしくは自身の期待役割を狭めてしまうように感じている。

 

例えば私の近接業界で多いのは、

・○○コンサルタント資格取得

・△△デザイン講座■期修了

・20**年より▼▼氏に師事

・○×★◇………

 

のような表記。その分野の専門性を後押ししたい意図で持っている資格やプログラムの履修履歴、経緯を全部書いてしまうパターンである。それはもちろん事実であるし、費やした努力とコストやそれにより得た経験は財産なのだが、大切なのは名刺を受け取った相手がどのように理解するか、ということにあると考えている。

 

「○○資格をお持ちなんですね、凄いですね。では、こんど我が社の事業について相談させてください」

 

「△△講座を修了されているのですね、では、こんな悩みがあるのですがご相談に乗っていただけますか?」

 

こんな会話に、名刺交換から発展するケースがどのくらいあるのだろうか、案外少ないものと推測している。なぜなら、程度の差こそあれそれは「私は自動車を運転できるのですよ、なぜなら普通免許を取得しているからです」と言っているのと本質的には大差が無いからである。

 

そもそも資格取得というのは、一般的に言ってレッドオーシャンの業界に突入することを意味している。既に市場が形成されているところに資格制度が整備され、日々新たに資格取得者が増加していき、その反面で顧客数は大きく増えることは期待できず、一定の段階で需給バランスが傾きごく一部の資格取得者のみが寡占することになる。なので、その資格を持っていることがそのまま仕事を得られる強みには構造上なっていない。

 

その昔、自動車という乗り物が世の中に初めて現れて、それを運転することのできる人というのは希少価値があり、また車両を所有できるという背景も含めた信用や羨望があったはずだ。しかし時間とともに普通免許が一般化してくると、資格保有の意味は単に運送旅客業界に従事するための必要条件でしかなくなった。それは、いま世の中に存在している多くの資格に言えることでもある。

 

「引き出しは、全部開けてはいけない。」

 

それが、価値提供を行う仕事に携わる人間にとって大切なことだと考えている。相手の興味関心、反応、時間の経過、社会の流れ、そういった変動する日々の中で「今」という接点に適した話題として、自身の保有スキルを自身の言葉で相手(顧客)に、手短に語ることができるかどうかが、また会いたい・相談してみようと感じていただくかどうかの分かれ目なのだ。

 

その瞬間においては資格保有の事実は自身の価値を外側でそっと支えているかどうか、わずかな役割に過ぎない。常に相手が望み、探しているのは「心から信頼し、相談できる相手」であり、それは私たち自身の心のありよう、物事の考え方、それらに即した仕事の実績・経験、発するほんの一言によってのみ伝えられるものなのだ。

 

だから、初対面の相手が目にする名刺やSNSアカウントのプロフィール欄に、これ見よとばかりに肩書きや経歴を羅列し、持っている引き出しを全部晒してしまうことは、相手の期待値を下げてしまうことになる。丁寧なコミュニケーションの合間に、反応を確かめながら一つ一つ必要なことだけ伝える方が、相手の心に響き、印象に残ることができるはずだ。

 

繰り返すがそんな観点で今一度自分の名刺、肩書きを見直してみると、相手に価値提供するために本当に必要な言葉が何かに気づき、自然と研ぎ澄まされた本当に示すべき肩書きが自分の内側から言葉化されてくるはずだ。それが相手に伝わることで、形だけの名刺交換でなく将来の可能性を含んだより良い関係性に発展していくものと考えている。

 

 

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