skillnoteのブログ

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学校も家庭も、他人と違うことをイイねと言える場でありたい

昨年の今頃「もうすぐ二学期。学校が始まるのが死ぬほどつらい子は〜」で始まる鎌倉市図書館のつぶやきが話題になったことを覚えているだろうか?

そう、二学期の始まるこの時期は子供達の自殺が多い日として知られるようになり、その逃げ場所の大切さについて考える機会になった。一方、堀江貴文さんが最近のインタビュー記事で学校という空間の違和感についてコメントしている。

堀江貴文氏が大胆な分析「日本人の99%は洗脳されている」 - ライブドアニュース

洗脳、というとどこか自分とかけ離れた世界のような気がするが、同調圧力の強い小社会に日々身を置くことは結果として物事の捉え方や人格形成に強い影響を与える点で、学校もその一つの場としてあながち外れていないように思う。

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私自身は田舎の村に育ち、小学校の同級生は30人程度で1クラスしかない環境だった。ほんの少しだけクラスメイトより勉強がわかっただけで周囲の大人たちから神童扱いされ、結局6年間、神童としての立場を演じ続け同調圧力の産物として手本のように振る舞う苦痛を味わうことになった。

学校で「良い」と評価されることはおおよそ次のようなものだ。授業の内容がよく理解できること、ハキハキと挨拶できること、何事も自分で考え創意工夫すること、様々なものに興味関心を持ち視野を広げること、恥ずかしがらずに他人の前で意見を伝えられること、校則や社会のルールを決して破らないこと、遅刻や欠席をしないこと、人前に立ってリーダーシップを発揮すること、弱い立場の人のことを考えられること、周囲と協調して物事を進められること、等々。

では私たちの周りに、これらが全部できる子供がどれだけいるだろうか。「幻の子ども像」とも言える理想の姿を全ての子供に求めることは、意味あることなのだろうか?学校が多くの子供にとって押し付け気味に理想像を求められる場であり、またそれを是とする同調圧力に満ちていたならそれは洗脳される事に他ならないし、そのような場所に行きたくないと感じるのが防衛本能だろう。また親も同じ事を家庭内で求めているのなら、家庭にも自分の居場所が無いように感じ、これが行き詰まると最悪の悲しい選択肢へとつながっていく。

親として再び学校教育に向き合う時期となり感じることは、学校が子供に対し「他と違うことを価値視する場」であって欲しいということだ。夏休みの課題は、そりゃ全部やった人は頑張ったのだろうけど、自由研究に熱中するあまり漢字の書き取りが半分しかできていなくても、それは子供として十分に学んでいるのだと、トータルで捉えればいい。運動会で列に並べずチグハグなダンスをしている子供は、きっと踊りながら空の雲の不思議を考えているはず、そういう暖かい目線が必要だ。

一方で現実の状況として、いくら授業と学習塾で学力を上げ中高受験で"良い"学校に行き、"良い"大学に合格したところで、それは将来に対する何の保証にもならない。もっと言うと就職活動で名のある企業に入社したとして、それが大人に用意されたレールの上を周囲からの暗黙のプレッシャーに従ったまま進んだ結果であるならば、その事すら人生においてはさほど価値を成さないものだし、まるで他人の人生を生かされるような喪失感を味わうことにもつながり、いずれどこかで破綻する可能性も小さくない。

つまり、他人と同じことを続けることでむしろ人生全体のリスクが高まり、本当に自分が果たしたい役割を見つけることを邪魔してしまう。それよりも子供の自由で伸びやかな発想や、他人と異なるそれぞれの自分らしさを誇りに思えるような「自己肯定感」を身につけることこそが、長い人生を有意義に楽しく過ごす上で大切な要素だ。いま世の中は何かにつけ多様性、ダイバシティの大切さが叫ばれているが学校の中も、子供たちも全く同様だ。

だから、学校の宿題がなかなか終わらなくても、人前でうまく話せなくても、帰りに寄り道して少しの買い食いをしたとしても、大目に見てあげるくらいの寛容さが必要だ。その場その場はコラ!と怒ってしまうかもしれないが、それは型にはまらないから怒るのではなく、他人への迷惑とか、命に関わる危険だとか、納得感ある理由で伝えることだ。他人と同じではないからダメ、ということは子供の成長にも自己肯定感にもつながらない。

さて、我が家の子供も今日が始業式。昨夜は22時くらいまでかかって、今そこでコレが出てくるか?!という宿題の数々を「やらずに行けば〜」という親の意見を背中に受けながらも一応やり切って出かけたわけだが、さて久しぶりの級友と会いどんな事を感じて帰ってくるだろうか。学校が子供にとって他人と異なる自分を認めてくれる居心地の良い場であって欲しいし、また家庭も同様に子供にとっての安心領域を整えることが、親にできる数少ない役割ではないだろうか。