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40歳を過ぎたら「年下の友人」こそ大切したい理由

先日、とある人とランチをしながらの話題。その方は40代後半の女性なのだが、最近は意識して年下の友人との付き合いを大切にしているのだということ。付き合いといっても大げさなものではなく、それとなく声をかけて近況を伝えあったり、気軽にランチに誘ったり、そういった細かなコミュニケーション積み重ねのことだ。(彼女は僕に対して、まさに今それを実践しているのだけど)

これには深く同感。自分と同年代あるいは年上の友人というのは、自分自身とともに自然と歳を取っていくもの。それは悪いことではないし、歳を重ねてこそ新たな発見や喜びに出会うことも多々あるのだけれど、でもこれから先の時間や未知の可能性を多く持っている若い人とは状況が異なり、限られた範囲で最善の努力をしている、というのが現実だろう。40歳を過ぎるということは、現実的に平均寿命を折り返したわけで、少なくとも今までと同じように過ごしていては自然と世界が閉じていってしまう。

自分より年下の、それも少し離れた年代の友人を大切にしていると、一見無謀に思えるチャレンジが成功したり、視野の外にあったイノベーションの価値に気づいたり、とにかく予想を少し超えた、少なくとも自分自身だけでは至らなかった場面を共有させてもらえることがある。経験値では自分の方が上回っても、発想力とか行動力とかそういったことが問われる場面では教えられることが多いはずだ。そうして年下の友人に「引っ張って」もらうことで自分自身の未来も本来の姿以上に、ぐんぐんと広がっていく。

私自身、幸いなことに毎年多くの大学生と活動を共にする時間を頂いている。心がけていることは、知識のある側がそうでない側に「教える」ということではなく、学生自らが何らかの大切さに気づきそれを得ようとした時に、適切なサポートをスッと空気のようにできる体制づくり。ティーチングの限界は学校でも企業でも同じで、真の成長はその人自身の内発的な動機づけと行動にのみ存在すると私は考えている。「正解」とは常に相手の内側に必ず存在するものなのだ、と繰り返し自分に言い聞かせ、信頼する。そうしていると相手側が当初は距離感を感じていたものが、時間を経る中で自然と近づいていき、お互いが適切な意味で対等な関係に発展していくように感じている。そうして逆に教えられる関係性を築き、学ぶことが増えていく。

年下であっても、丁寧に接すること。いや、年下だからこそ自分の知らない、持っていない可能性を秘めていてリスペクトすべき存在なのだ。だから、これからも一人でも多くの、年下の友人に出会いたいと願っている。そして、ともに人生を対等に楽しめる仲間でありたいと思う。ということで、あらためてどうぞこれからも年下の皆さん、よろしくお願いします!

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