skillnoteのブログ

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自己肯定感の大きさは幸福度そのものと一致している

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いろんな場面で人と接して最近感じることは、結局幸せかどうかの判断はその人本人次第で、他人と比べるものではないのだろうなぁ、ということ。

大切なのは自己肯定感で、自分がやってきたことや今現在のありようを、まぁいろいろあったけとトータル良かったね、自分幸せだよね、と納得できているかどうかに尽きると、感じている。

自己肯定感が低いと何かとモノサシに頼り、年収が平均より上だとか、別荘かどうとか、○○の業界に何人の友人がいるとか、自分の外側にある尺度を持ち出してくる。不安を打ち消すのに懸命だから、外側にあるわかりやすい指標に頼らざるを得ない、ということか。

私は大きいんだ、と自ら語ることは自分の小ささを証明することになってしまう。それは端から見れば明らかなのに、往々にして本人は気づかないことが何より寂しさを感じる。

かたや自己肯定感の高い人は、気持ちがいい。自慢でなく事実を話しながら、何が良いと思ったのか、周囲の反応を気にすることなく感じるままを伝えるからだ。

その根っこには、そもそも自分と相手は違ってていいんだ、という深い割り切りがあるように思う。だから比べないし、嫉妬もしない。常に相手の良いところにフォーカスする。お互いに気持ちの良い時間を過ごすことができるのだ。

自分自身も自己肯定感高くありたいものだと、あらためて思うこのごろだ。それは「足るを知る」ということでもあり、「多様性の理解」とも言えるし、また「自分軸を大切にする」ということでもある。

求めたいのは安易な妥協ではなく、本質的な自己肯定感。なかなか難しいが、それが幸せへの一つの道なのだろう。自己肯定感の大きさは、幸福度そのものと一致している。

「説明に懸命になるほど相手に引かれる」ときの解決策

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Q.商談などで、説明に懸命になるほど相手に悪い印象を与え、引かれてしまうことが多く悩んでいます。何か事前にできる対策はありますか?

先日、知人からこんな相談を受けました。相手との温度差を埋めようとどんなに頑張っても状況が好転せず背中をツーと汗が流れる状況は、私自身も何度か経験しています。大きく3パターンに分けて「要因と対策」をまとめましたので、ご参考にしていただければと思います。

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【要因1】「相手が話す時間」の不足
提案、といっても常に相手は聞き役でなく「話し手」をやりたいのが人間の常。きっかけとなる小さな質問を相手にして、簡単なことでも相手の口に出して言ってもらうこと。

「そうですよね〜」「おっしゃる通りです!」と相手を立てておいて「そこでこんな時は○○」が役立つのですよ、という流れにするといかにも相手が会話をリードしたように錯覚させることができます。

相手に、主体的に話し手として参加いただくと、結果はどうあれプレゼン自体の不満感は相当に減少し、逆に提案内容に対する満足度は高まります。


【要因2】実は提案に自信がない
商品やサービス自体の評価に自分自身が本心から納得できていない時は、ふとした瞬間にその自信の無さが伝わり、また自信の無いことで疑心暗鬼にもなり、「相手が不満に感じているのではないか」と錯覚することがあります。

これに対する解決策は、提案自体を納得できるものに変えるか、心を鬼にして良いものと言い聞かせ自信満々に話すかのいずれかです。当然ながら長期的には前者の方が信頼を高めますね。


【要因3】伝える技術「非言語コミュニケーション力」の不足
一般的にプレゼンテーションの印象の6割は見た目で決まると言われます。つまり、具体的には「表情、視線、身振り手振り、姿勢」を効果的に使うことです。

表情:常に、にこやかに話します。口角を上げると、自然と笑みを含んだ表情になります。鏡で練習すると上手くなります。

視線:相手方の誰かと、一つの文章を言い切るくらいの時間、視線を合わせて話します。次の文になったら、次の人と視線を合わせます。全体ではなく常に誰か一人と話をしている、そんな視線を使うことメッセージが伝わり、説得力が増します。

ジェスチャー:「大きい・小さい」など話の内容を手や体を使って表現します。また両方の手のひらを相手に見せる仕草は、心を開いている印象を与えますので、意識してその時間を長く取ると心理的な距離が縮まります。逆に腕組みは相手を遠ざかる効果がありますので避けます。

姿勢:姿勢も言葉遣いも着飾る必要はありません。適度にリラックスして、プレゼンテーションというより「こんな話があるんですよ、ご参考になれば」くらいのテンションが相手の耳を開いてくれます。

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そもそも提案の場面というのは話し手と聞き手の間に「温度差」がかなりあるという前提に立つことが大切です。事前に準備した「話したいこと」の5割程度も話せれば丁度良い、くらいの気構えが適度なリラックスを生みます。それが相手にも伝わり、さらに内容理解の段階へ入っていきやすくなります。

会話の温度差さえ無くなれば相手に引かれるということはありませんので、そのように環境を整えることができたら、自分が押したい点を堂々と伝えてください。もう成功は間違いなしです。

「コンテンツを持っている人」の話し方 6つの特徴

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誘われたランチや飲み会で最初は相手に合わせ話に付き合い、やや退屈を感じながらもいつかは意味ある話題に変わるとだろうと期待していると時間がだんだん経過していきそのまま終わり、という経験を何度か繰り返した。

特にカイシャ付き合いの飲み会というのは、凡そ上司のグチや社内の人事異動や噂話、せいぜい日本の景気とスポーツの話題くらいである。また、学生時代の友人との久しぶりの再会に気持ちを高ぶらせたものの、意外なほど話がつまらなくアレこんな奴だったっけ、と記憶をたどった経験は皆さんにもあるだろう。

つまり、コンテンツを持たない人との時間はムダに終わる、というのが最近の持論だ。コンテンツというのは自分の手で直接手がけ生み出している、何らかの製品やサービスや機会や文化のことだ。サラリーマンか事業主かどうかは関係なく、コンテンツを生み出す主体である人の話には共通点がある。

1.話題の一つ一つが具体的である。

2.いつも、より良いものを探している。

3.批判や否定よりも、他者を認めることから何かを見出す。

4.相手の理解に合わせて、自分の引き出しを選ぶことができる。

5.どうやるかではなく、何をやるかにフォーカスしている

6.話さない、という選択肢を常に持っている。

こんな人たちとの出会いはいつも刺激的で、必ず何かを得ることができる。最近私が有意義な時間を過ごした相手のそれぞれは、カウンセラーでありマルシェのディレクターであり子供のアトリエの先生であり、また開業を控えた整体師であり広報PRの専門家でありバルーンアーティストであり、若い農家であり街づくりに取り組む主婦だった。

その誰もが自分の手でコンテンツを生み出し、顧客や社会のことをマジメに考え、そして働くことを楽しんでいる。6つの特徴の幾つかを有し、心地よいコミュニケーションを取ることができている。だから専門領域は違えど共通言語を交わすことができ、それは自らの糧となると同時に、異なる何かを自分からも相手に提供しようという自然な想いにつながる。

そのためには自分自身がコンテンツを生み出す人間であり続けることが必要で、程よい自己成長のプレッシャーとなり日々の行動に影響を与える。新たな発想やイノベーションというのは悩みひねり出すものではなく、日常の多様で意味ある付き合いの繰り返しの中で、ふとあるタイミングで姿をあらわすものなのだ、きっと。

せっかく人と人とをつなぐソーシャルメディアがランチや居酒屋の品評会や観光地ギャラリーばかりではもったいない。それも良いが、時折は自らのコンテンツは何かをサラリと示すことが、次の一歩につながっていく。コンテンツを持つ人は、他のコンテンツを持つ人とのつながりに価値を見出す。意識高い系とか言いたい人には言わせておけば良いのだ。自分も有意義な時間を生み出せる一人であるために、磨いていこう。

学校も家庭も、他人と違うことをイイねと言える場でありたい

昨年の今頃「もうすぐ二学期。学校が始まるのが死ぬほどつらい子は〜」で始まる鎌倉市図書館のつぶやきが話題になったことを覚えているだろうか?

そう、二学期の始まるこの時期は子供達の自殺が多い日として知られるようになり、その逃げ場所の大切さについて考える機会になった。一方、堀江貴文さんが最近のインタビュー記事で学校という空間の違和感についてコメントしている。

堀江貴文氏が大胆な分析「日本人の99%は洗脳されている」 - ライブドアニュース

洗脳、というとどこか自分とかけ離れた世界のような気がするが、同調圧力の強い小社会に日々身を置くことは結果として物事の捉え方や人格形成に強い影響を与える点で、学校もその一つの場としてあながち外れていないように思う。

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私自身は田舎の村に育ち、小学校の同級生は30人程度で1クラスしかない環境だった。ほんの少しだけクラスメイトより勉強がわかっただけで周囲の大人たちから神童扱いされ、結局6年間、神童としての立場を演じ続け同調圧力の産物として手本のように振る舞う苦痛を味わうことになった。

学校で「良い」と評価されることはおおよそ次のようなものだ。授業の内容がよく理解できること、ハキハキと挨拶できること、何事も自分で考え創意工夫すること、様々なものに興味関心を持ち視野を広げること、恥ずかしがらずに他人の前で意見を伝えられること、校則や社会のルールを決して破らないこと、遅刻や欠席をしないこと、人前に立ってリーダーシップを発揮すること、弱い立場の人のことを考えられること、周囲と協調して物事を進められること、等々。

では私たちの周りに、これらが全部できる子供がどれだけいるだろうか。「幻の子ども像」とも言える理想の姿を全ての子供に求めることは、意味あることなのだろうか?学校が多くの子供にとって押し付け気味に理想像を求められる場であり、またそれを是とする同調圧力に満ちていたならそれは洗脳される事に他ならないし、そのような場所に行きたくないと感じるのが防衛本能だろう。また親も同じ事を家庭内で求めているのなら、家庭にも自分の居場所が無いように感じ、これが行き詰まると最悪の悲しい選択肢へとつながっていく。

親として再び学校教育に向き合う時期となり感じることは、学校が子供に対し「他と違うことを価値視する場」であって欲しいということだ。夏休みの課題は、そりゃ全部やった人は頑張ったのだろうけど、自由研究に熱中するあまり漢字の書き取りが半分しかできていなくても、それは子供として十分に学んでいるのだと、トータルで捉えればいい。運動会で列に並べずチグハグなダンスをしている子供は、きっと踊りながら空の雲の不思議を考えているはず、そういう暖かい目線が必要だ。

一方で現実の状況として、いくら授業と学習塾で学力を上げ中高受験で"良い"学校に行き、"良い"大学に合格したところで、それは将来に対する何の保証にもならない。もっと言うと就職活動で名のある企業に入社したとして、それが大人に用意されたレールの上を周囲からの暗黙のプレッシャーに従ったまま進んだ結果であるならば、その事すら人生においてはさほど価値を成さないものだし、まるで他人の人生を生かされるような喪失感を味わうことにもつながり、いずれどこかで破綻する可能性も小さくない。

つまり、他人と同じことを続けることでむしろ人生全体のリスクが高まり、本当に自分が果たしたい役割を見つけることを邪魔してしまう。それよりも子供の自由で伸びやかな発想や、他人と異なるそれぞれの自分らしさを誇りに思えるような「自己肯定感」を身につけることこそが、長い人生を有意義に楽しく過ごす上で大切な要素だ。いま世の中は何かにつけ多様性、ダイバシティの大切さが叫ばれているが学校の中も、子供たちも全く同様だ。

だから、学校の宿題がなかなか終わらなくても、人前でうまく話せなくても、帰りに寄り道して少しの買い食いをしたとしても、大目に見てあげるくらいの寛容さが必要だ。その場その場はコラ!と怒ってしまうかもしれないが、それは型にはまらないから怒るのではなく、他人への迷惑とか、命に関わる危険だとか、納得感ある理由で伝えることだ。他人と同じではないからダメ、ということは子供の成長にも自己肯定感にもつながらない。

さて、我が家の子供も今日が始業式。昨夜は22時くらいまでかかって、今そこでコレが出てくるか?!という宿題の数々を「やらずに行けば〜」という親の意見を背中に受けながらも一応やり切って出かけたわけだが、さて久しぶりの級友と会いどんな事を感じて帰ってくるだろうか。学校が子供にとって他人と異なる自分を認めてくれる居心地の良い場であって欲しいし、また家庭も同様に子供にとっての安心領域を整えることが、親にできる数少ない役割ではないだろうか。

「終わった人」になりたくなければ、いま始めよう

夏休みはケータイの電波も弱々しい森の中のキャンプ場で5日間、のんびりと過ごしました。子供たちと森の中を探検したり川で魚取りをしたりスモークチーズを作ったりしながら、合間の時間に読んだのが「終わった人」(内館牧子著)。深く共感しながらも「終わった人」が今後も大量生産されていくであろう社会は一体どうなってしまうのか、とハラハラしました。ご紹介を兼ねて感想をお伝えします。

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これは長年の銀行勤めを定年退職した主人公が、居場所無くやり甲斐のない日々に苦しみながらも、生き方を模索し様々な出来事に遭遇し、気づきを得ていくお話です。読み進めながら思わず書き留めたフレーズがこちら。


・夫が現役時代に自分のことばかり考えていた間、妻も自分の生き方やコミュニティを固めてきたのだ。

・定年というのは、夫も妻も不幸にする

・それにしても、本当にやることがない。本当にない。人にとって何が不幸かと言って、やることがない日々だ。

・サラリーマンは、人生のカードを他人に握られる。配属先も他人が決め、出世するのもしないのも、他人が決める。

・定年になった男たちは家庭に戻るか、趣味に走るしかないんだなって、実感するよ。

・暇だ、とかやることがない、という言葉で誤魔化してきたが、所属する場のない不安は、自分の存在を危うくするほど恐いものだった。

・今まで誇りにし、俺自身を育ててくれたものがマイナスになるのはおかしい。学歴や職歴は俺を作っている。俺らしさはそこにある。

・「職場と墓場の間」に何もない人生が、いかにつまらないか。それは俺の身にしみている。


この本は出版から約一年となる今も読者がジリジリと増え続けていて、本についている感想ハガキが通常の何倍も送られてきているのだそうです。読者の多くは主人公と同じ定年退職を経験したサラリーマンで、まるで自分のことを言い当てられたようだ、というコメントが多いのだとか。

そう、物語というよりはほとんどドキュメンタリーに近い仕上がりで、作者はさぞかし多くの取材を重ねてリアリティーをこの作品に与えたのだろうと感じます。そして大切なことは、「終わった人」はこれからもどんどん大量生産されていき、それは決して社会にとって良くない影響を与える要因となっていくだろう、ということです。

定年を迎えてから人生のリアリティーに気づくと、そこから過去40年を検証し直してから、その先20年かそこらをデザインすることになります。身体に染み付いた価値観や経験やプライドなど、捨てたり変えたりした方が良いものを柔軟に取り入れることができる人は人生を生き直す喜びを感じることが出来るでしょうが、現実には多くの方が変化を受け入れることができず「終わった人」と呼ばれる存在になってしまいます。

これは単純にサラリーマンが良くなくて事業主が良い、という話ではなくて、働くことに一辺倒になることで人生のバランスを崩し、大切にすべき様々な要素をその時々に置き去りにしてきたことの反動が、定年後一気に押し寄せてくる、ということなのだと理解しています。

働くことはある意味「社会」を遠ざけることができる、意識しなくても生きていける免罪符の要素があります。仕事だから他より優先するべし、仕事を頑張ってるから評価される、そういう積み重ねと表裏一体で、家族の中の役割や地域で得られたはずの立ち位置を一つずつ失っていくのです。

仕事を疎かにして良い、収入を軽視するという意味ではなく、それらと程よいバランスを取って「両取り」する器用さが本来は必要なのに、それを「仕事だから」という理由でサボってきた、そのしわ寄せが定年後に形になって表れる、だからそれに気づいていた家族からは見放される、そういうことなんだと思います。

これらのことに早く気づき、30代40代のうちから働くことに頼り切りにならない、実りある人生を意識して創っていく、それがきっと大切なのだとこの本を通じて気づかされました。かなり宣伝記事風になりましたが、1,700円は決して高くない価値のある一冊として推薦します、ぜひ。

終わった人

終わった人


本気でビジネススキルを高めたいなら今すぐ熟読すべき厳選5冊

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書店のビジネスコーナーに行くと所狭しと並んでいるビジネススキル本。身につけたらきっと自分の仕事やキャリアに役立ちそうだけど、多すぎてどれが良いのか正直わからない!という皆さんにお勧めの厳選5冊をご紹介します。いずれも章立てがシンプルで知りたい事を明確に把握でき、またそれぞれの内容のクオリティが高いものを選びました。私自身が一人のビジネスパーソンとして、またセミナーのファシリテーターとして今現在も手持ちの辞書のように日々活用している5冊ですので、自信を持ってオススメします。
 
1.「あたりまえだけどなかなかできない プレゼンのルール」箱田 忠昭 著(明日香出版社)

あたりまえだけどなかなかできない プレゼンのルール (アスカビジネス)

あたりまえだけどなかなかできない プレゼンのルール (アスカビジネス)

こちらは「プレゼン技術」に関する専門的な技術をシンプルに解説した名著です。一言に「プレゼン」というと指し示す対象が広いのですが、この本では最も基礎的な「話し手の伝える技術」について絞ってその要素を解説しています。具体的には一対多数の場面でのプレゼンに効果的な「声の出し方」「ジェスチャー、身振り手振り」「テンポと間」、あるいは「座席の効果的な配置」などについて極めて実践的な内容です。箱田氏はその昔に「プレゼン技術」の概念を日本に輸入した張本人で、国内におけるプレゼン分野の祖とも言える方です。私は箱田氏のプレゼン研修を10年以上前に受講しましたが、そのインパクトは今も色褪せることなくこの本にしっかり反映されています。どのような職種であってもプレゼン能力の有無は仕事の成果に直結しますので、まずは一読をオススメします。
 
2.「頭のいい説明『すぐできる』コツ」鶴野 充茂 著 (三笠書房)

頭のいい説明「すぐできる」コツ―今日、結果が出る! (知的生きかた文庫)

頭のいい説明「すぐできる」コツ―今日、結果が出る! (知的生きかた文庫)

「話がわかりづらい」「相手にうまく伝わらない」などの悩みを、効果的な文章構成の技術を用いて解決します。上記のプレゼン技術を上達する要素の一つとして「話の構成力」が必要となるのですが、その部分について掘り下げた内容でもあり、また同時に「ロジカルシンキング」の要素を平易に理解することもできます。数多くあるロジカルシンキング本はその本自体の読解に相当のスキルを要する、という本末転倒のジレンマによく遭遇しますが、この本はそういう心配とは無縁です。気軽に読み進めていき少しづつ実践してみると、気づいたらロジカルシンキングが身についていた!という嬉しい状態になれることでしょう。ロジカルシンキングは問題解決力や文章表現、コミュニケーションなど広いスキルの基盤となる要素ですので、早めに習得できると他のスキルとの相乗効果が期待できます。
 
3.「すぐできる!伝わる文章の書き方」赤羽 博之 著(日本能率協会マネジメントセンター
 SNSやブログが一般化した今、誰であっても他人に読まれる文章を書く機会が増えてきました。「書き言葉の表現」についてカッコつけたり自己流のスタイルを決める前に、まずは「きちんと伝わる表現」を身につけることに焦点を当てた指南書です。1,000~2,000文字以上などある程度長い文章を継続的に書くには、この本で採り上げているような「短く言い切る」や「重複を避ける」などの基礎的な文章スキルがあると格段にクオリティが高まります。プロ・アマチュア問わず文章力をコミュニケーションスキルのひとつとして手の内に入れることができるとどんな場面でも活用できますし、ちょっとしたライティング業務を請け負うことも可能になります。著者の赤羽さんは日々全国での文章セミナーを開催されていて現場目線の悩みとその解決策に精通しておられ、実践的な内容になっています。

4.「地頭力を鍛える 問題解決に活かす フェルミ推定」細谷 功 著(東洋経済新報社

地頭力を鍛える 問題解決に活かす「フェルミ推定」

地頭力を鍛える 問題解決に活かす「フェルミ推定」

いわゆる発想力や思考力を高めるため、知識の蓄積ではなく「脳の体力=地頭」を鍛えるトレーニングの本です。その手法で有名なフェルミ推定とは、その昔に物理学者のエンリコ・フェルミが教鞭をとっていた大学生相手に問いかけた話が元と言われています。有名な設問に「シカゴにピアノの調律師は何人いるか」を文献やデータを参照することなく導き出す、というものがありますが、既知の情報(人口など)からおおよその目安となる値を割り出し、仮説思考に基づき問いに対する答えを導く技術と重要性を学ぶことができます。同時に大切なのは正解の値を算出するという結果だけではなく、未知の難問に対してあきらめずに、むしろ「ワクワクしながら」アプローチを重ねていく精神性にあるとも言われます。私達の現実社会でもIoT(モノのインターネット接続)やAI(人工知能)の発展により、知識量ではなく考え方や捉え方にこそ価値が生まれてくると言われていますので、まさにこれからの私たちに必要な能力を高めるのに有効な一冊です。
 
5.「ワールド・カフェをやろう!」香取一昭、大川恒 著(日本経済新聞出版社

ワールド・カフェをやろう

ワールド・カフェをやろう

大人数での会議やディスカッションが今ひとつ盛り上がらない、発言する人が偏る、深い議論に辿りつけないなどの悩みをビジネスパーソンなら誰しもお持ちだと思います。「ワールド・カフェ」はアニータ・ブラウン氏とデイビッド・アイザックス氏により1995年にアメリカで提唱された話し合いの進め方についての技法で、その後日本でも本書をきっかけに広まっていきました。本物のカフェのようにリラックスした雰囲気の中で何らかのテーマに関する対話を行うことが特徴です。進行においてはいくつかのルールがあり「他人の意見を否定しない」「発言しながらテーブルの上の模造紙に書き込む」「共通点やつながりを見つけ広げる」などを守りながら4~6人単位の小グループのメンバーでの話し合いを行い、その後も何度かメンバーの組み合わせを変えていきます。すると不思議なことに、まるで会場の参加者全員が話し合っているような効果が得られ、議論も深まっていきます。本書ではその手法や効果を知るとともに、実際にワールド・カフェを運営するための具体的な実例が記載されており、誰でもファシリテーターとしてワールド・カフェを開催することができます。


ご紹介は以上です、いかがでしたか?この夏、本気でビジネススキルを高めたい!という気持ちになりましたか?まずは気になる一冊から気軽にポチッと始めてみてください。




★この記事はwebメディア「街角のクリエイティブ」にも掲載されました★

「2枚目の名刺」と「プランド・ハプンスタンス(計画された偶然)」の関係

最近「二枚目の名刺、パラレルキャリア」的な働き方がようやく世間の認知を得つつあります。私自身は4年ほど前から勤めの仕事を継続しながら、土日や休日を使ってプレゼン技術やロジカルシンキングなどに関する講座や何らかのテーマに関する場のファシリテーションを地域や組織で行ってきました。

複数の立場を並行して価値提供する「パラレルキャリア」の考え方は経営学ドラッカーが唱えていたもので案外歴史は古く、よくよく考えるとヒーロー物のストーリー例えばスパイダーマンは普段は新聞記者で誰かの危機を救う時はヒーローに変身するという、まさに二枚目の名刺な人だったわけです。戦国時代の農民は畑を耕す日常と、戦の時には軍に招集され兵となるパラレルキャリアが常でした。

一つの職業にのみ専ら集中するサラリーマン的な働き方というのは、戦後を経て高度経済成長の時代に大手資本へ労働力を集約した時が契機と言われていますので、実はたった50年の歴史しかありません。社会が経済的に潤い右肩上がりの成長を遂げていた時期は細かい課題は大きな成果に隠れ問題として認識されませんが、景気が減退し人口減少・低成長社会にシフトしつつある今その働き方や価値観を見直そうという動きはごく自然なものと言えますし、一つの職業や立場に縛られない近代以前のワークスタイルに再び注目が集まるのは理にかなっていることなのかもしれません。

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私自身の場合ですが、勤め先の組織は割と柔軟な就業規則を持ち、兼業禁止ではありません。事前に申請すれば報酬の有無に関わらず他の業務に従事することを条件付きで認められます。もちろん、公序良俗に反することや企業イメージを毀損する事業、また本業に近すぎる競合事業などは除外されますが、それ以外は目的や意義が妥当なものであればOKというものでしたので、幸いにして私の活動は認められ何も気兼ねすることなく個人としての活動を始めることができました。

パラレルキャリアの効用については研究者による事例分析も進み様々な効果や成長への寄与が言われています。実感としては視野と人脈が広がることと、何よりその道のプロフェッショナルとして自分のスキルに磨きをかけるプレッシャーに日々さらされ、自然と鍛えられることだと考えています。二枚目の名刺というと短絡的に本業との相乗効果、などど言われることもありますが、本来はそれが目的ではなく結果としてそうなれば良いねという話と理解していますので、目先の成果を追わないことが大切だとも感じています。

さてそんな風に取り組みを続けていると、いわゆる「棚からぼた餅」のようなラッキーが、ごくたまに舞い込んできます。二枚目の名刺を持っていたからこそ得られた新たな期待役割や、正攻法では到達できない場所へのショートカットなど意外な展開です。キャリア理論では自身のキャリア形成に大きな影響を与えるのは8割を占める偶然の出来事、すなわち就職活動の結果や入社時の配属、上司との相性やコントロールできない市場の変化であって、自ら計画して積み上げたものの影響は2割程度に過ぎない、という考え方があります。

と同時にそれをあきらめるのではなく「プランド・ハプンスタンス(計画された偶然)」として、その偶然をいかに予測しながら良いところを捕まえ活用できるか(=棚からぼた餅)、という対処の心構えがあります。二枚目の名刺を持つことで行動範囲が多様化し、「計画された偶然」との遭遇率が格段に高まることこそが、活動の醍醐味のように感じています。

おそらく多くのパラレルキャリアな人々はこの魅力に気づき、日々どんなことが起こるかわからない不思議な期待感が活動を継続していく動機づけになっているのではないかと思います。日々の仕事や人間関係に行き詰まりを感じたなら、ぜひ2枚目の名刺を持つことから始め、日々のワクワクが増えていく様を体験してみることをお勧めします。