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skillnoteのブログ

プレゼン技術、多様な働き方、パラレルキャリア

子どもの主体的な成長のため大人が知っておくべきたった一つのこと

子育て 教育
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「子どものための自己紹介のコツ」講座を先週末に開催し、11組のお子さんとその保護者の皆様にご参加いただきました。

 
これは自分を相手に伝えること、伝わることの純粋な喜びや楽しさを知って欲しいと願い、昨年度から続けている取り組みです。
 
講座を終えた後のある風景と私の考えていることを、今日は少しお伝えしたいと思います。
 
講座終了後、それぞれの表情
とっても楽しかった、面白かったよと親子で笑ってお帰りになる方々の一方で、時折親子で異なる表情をお見せになることがあります。
 
人前がすごーく苦手なお子さんが、やっと解放されたとばかり逃げるように立ち去るのを、待て〜!と追いかけるお母さん、それはそれでOKです。
 
必ずお子さんの頭の片隅に、気づきのカケラが残されています。将来のその時を気長に待つのみです。
 
子は満足、親は不満・・・?
少し気になるのは、お子さんは笑顔でとても楽しんでくれたように見える反面、やや物足りない感じの表情でお帰りになる保護者の皆様。じつは毎回、数組はいらっしゃいます。
 
期待していた内容と違った、もっと明確に成果を感じ取りたい、よりハッキリとやり方を指導して欲しかった、うちの子どもは理解していたのかどうか・・・。そんなお気持ちでいることでしょう。アンケートにもお書きいただくことがあります。
 
私自身まだまだ完璧には程遠い講義と思いますので、お子さんにより楽しんでいただき、また真の気づきを得てもらえるよう努力を継続して参ります。
 
しかしながら、親の不安を満たすだけの、形だけの講義は今後も行うことはないでしょう。どういうことか、ご説明します。
 
楽しみながら学ぶことの価値
この講座の主役はあくまでお子さんです。親の知らない、子どもの成長の一端をほんの少しお手伝いしたい、それによりお子さん自身が何かのキッカケや自信を手に入れ、将来的に他者とのコミュニケーションを自ら楽しめるようになることを、目指しています。
 
そして「楽しむことは、学ぶこと」という理解を、ぜひ親子で共有して欲しいのです。主体的な成長は苦痛ではなく、楽しみの中にこそあります。楽しみながら学ぶことこそ、継続的で主体的な成長に最も必要な要素なのです。
 
前時代的な、苦労してこそ実力が〜という妄想が何ら合理的な成長につながらないのは、最近社会の認知を得てきたスポーツにおいてはもとより、学業やコミュニケーションにおいても同じものと考えています。
 
ですから、講座からの帰路はお子さんが自分から話すまで、親からアドバイスを加えたり、ましてやダメ出しなんか決してしないで欲しいのです。
 
真の成長は「内発的な動機付け」による
大人も子どもも全く同じ、真の成長は内発的な動機づけ以外にはなく、外部からの影響はあくまで補完的なもの。アドバイスは時にはノイズですらあることを、たとえ親と子の関係であっても同様だと、理解することが必要です。
 
親子といえど別人格で、子は親の所有物ではありません。子どもを一人の独立した人間として接し、本人の感覚や判断を最大限尊重することが、親が果たしたい大切な役割なのです。
 
私がこの講座を通じて行っている本当の目的は、子どもたちの支援を通じ保護者の皆様へ今述べたようなメッセージを伝えることであり、またその先にある社会を変えることにあります。
 
やや、大それているかもしれません。しかし気持ちに偽りはなく、まず自分が影響を与えることのできる半径から始めているのが、この取組です。
 
一方的で過度な教育は虐待と同義で、子どもたちを深く傷つける可能性があります。それは自分自身の体験から、確信を持っている事実でもあります。
 
地域の誰もが、支援する役割
そして、子どもの学びを支援する役割は親や学校教師だけではありません。子どもたちが社会で日々関わる全ての人々が、先生です。
 
通学路にいるシルバー世代のボランティア誘導の方々、コンビニの店員さん、自宅にかかってきた電話の相手、図書館の貸し出し係の方、公民館で出会った人形劇の公演者、などなど。私もその中の一人として、地域のお子さんたちに日々関わっています。
 
直線でなく曲線。規則的でなくランダム。ピッタリよりバラバラ。そういう予定調和とは対極にある事実や人間関係こそが、社会そのものの実態だと思うのです。

子どもたちは少しずつ、自分で考え判断し、行動することを覚える。主体性を身につけていく。そんなことを地域で私たちが、皆で少しずつ伝えていくことができたら、きっとより良い社会になっていくのでは、と日々思うのです。
 
「子どものための 自己紹介のコツ」はそんな想いで発案し、形作ってきました。これからもさまざまなご意見をいただきながら、より良い場作りを続けていきたいと思います。

今日は、私なりに感じていることをお読みいただき、ありがとうございました。ぜひ皆さんの感想、お考えもお寄せください。それぞれに異なると思います、それが良い社会を創っていく上で大切なことだとも、思っています。



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バイバイ、ウィッシュ。

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1月15日 日曜日
 
今日、生まれてからずっと乗ったウィッシュとおわかれしました。
 
新しい車はエクシーガクロスオーバー7です。
 
ウィッシュとバイバイしたときは、友達が転校したような気分でした。
 
でも今は、ワクワクでむねがいっぱいです。
 
 
**********
 
10歳の息子の、小学校の日記の宿題から、本人承諾あり。彼と車はちょうど同い年くらいなので、知らぬ間に思い入れがあったのだなぁ。こっちも泣きたいような、うれしいような。

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未読メール777件の真実

コミュニケーション
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何気なくテーブルに置かれている妻のケータイを見ると、何とメール未読件数でフィーバーしているではないか! 衝撃。

本人に聞くと面倒くさそうなのはスルーして、読みたいのだけ読んでたらこうなったのだそう。私はすぐに既読にしたい派なのだけど・・・

そうか待てよと。昨今はLINEやらMessengerやら何でも既読中毒のように振り回されがち。そういう次元から抜け出して、自分にとって本当に大切なものの優先順位を上げていくことこそ、今必要なのでは。

深い、と勝手に解釈。いやズボラなだけだと思うけどね、実際。でもそんな手抜きや鈍感力は、私たちに大いに余裕を与えてくれるのも事実。

そう、もうすぐ迎える新年はぜひとも、常に余裕のある年にしよう。皆様、どうぞ引き続きよろしくお願いします。

(大事なメールはちゃんと読んで返信しましょう)

「ご栄転」というコトバの終わり

働き方 キャリア
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この一年ほど書くことの修行を兼ねてwebライティングのお手伝いを少しだけして、先日卒業しました。学ぶことも多く、元D広告代理店の編集長からよく言われたのは「タイトルで出落ちしないでください」ということ。まぁページ巡らせてナンボの世界では、最後まで読まないと結論がわからない方が滞留時間が稼げ適しているのだろうけれど。でもそれって文章の本質では無いよね、というわけでこの話は出落ちの話です。

組織に勤めていると人事異動の時期は社内がソワソワしてくる。誰がどうした、自分はどうだろうと身を案じ、人生の大切な指揮権が組織にあることを気づかされる。そして転勤となった人々に向けられる言葉が「ご栄転おめでとうございます!」だ。それが本当にご栄転であろうがなかろうが、礼節として、励ましとして全てがご栄転なのだ。

しかしその概念の終わりは近い、と私は考えている。昇進・昇格であろうと「転ずること=ステップアップ、もしくは幸せ」には必ずしもならなくなる、という意味だ。

そもそも転勤とは、組織が多くの従業員に労働意欲と機会均等を与えるための一つの手段。同期入社のAさんとBさんが最初に偶然割り振られた赴任地から何十年も動くことが無かったら、本人の頑張りの有無を遥かに上回る周辺環境からの影響で仕事の成果が左右されてしまう不平等をならすものだ。そして転勤と昇進・昇格は多くの場面でタイミングが重なるようにできている。だから、ご栄転。

しかし働くことに対する人々の価値観は、従来から比べるともの凄く多様化している。ある新入社員を対象にした調査では、「昇進昇格よりも個人の生活の充実を優先したい」という意見が約7割だった。中堅社員でも、声を大にはしなくとも、近い考え方の人は日に日に増えているように感じる。許されるなら今の生活基盤を動かすことなく、でき得る範囲で仕事は続けたいという派の出現。

何というか、もはやそれらを「怠慢だ」とか「忠誠心が足りない」や、「我慢は必要」「負担は皆で分担」などの言葉では説得できない水域にあるように、理屈ではなく実感として思う。

簡単に言うと「仕事は辛いもので我慢をした先に得られる果実がある」という思い込みのような考え方が、実はそうじゃないんじゃないか、ということ。だから、栄えあるはずのご栄転が、本人にとってはそうではない。または、本人はそうでも家族はガックリ、という状況。

となれば「ご栄転おめでとうございます」の定番あいさつが無くなる日が来るのは、まんざら空想でもなさそう。AI・IoT社会が進めば人間個人に求められるスキルは変化し、人を管理するだけのゼネラリストの絶対数は限りなく減少するとも聞く。それよりも代替できない専門スキルを掘り下げることが生身の労働価値になり、「転じる」というアクション自体の意味が低下する可能性も高い。

じゃあ自分はどんな選択をし、行動しようか。悩みは尽きないどころか先例の無い難しい環境に私たちは今置かれているのだ。さあ、そんな事を考えながら2017年はどのように自分のキャリアをデザインしていこうか。

貸し農園で農業を始めたら良いことづくめだった話

暮らし 趣味 価値観 ライフスタイル
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ふとしたきっかけで自宅近くの農園を借りて野菜づくりを始めて3年目。ほぼ経験値ゼロからのスタートにも関わらず、すっかり生活の一部となりその魅力に取り憑かれています。飽きることなく続けていけるのは、野菜づくりを通じてたくさんの「良いこと」に日々出会えているからなのですが、その要因を大きく4つお伝えします。

1.採れたて野菜はとにかく美味しい!
自分の手で、家族みんなで作った野菜はとにかく美味しいんです。これまでに挑戦した作物はレタス、キャベツ、ニンジン、スナップエンドウ、枝豆、ジャガイモ、オクラ、芽キャベツ、トマト、下仁田ネギなど季節ごとに様々。誰かに販売するわけではないので、自分たちが食べたいもの、興味ある品種を旬に選んで育てます。時には「種」にもこだわり、収量増や病気対策のため品種改良された「F1種」ではなく、古来からの野菜の姿が楽しめる「固定種」を育てたりもしています。

有機無農薬で少量の野菜を手作業で育てていると、スーパーで毎日並んでいる野菜のことも自然と考えます。農家さんは安定供給や生活のため、ある程度の農薬を使い大量生産に適した方法で野菜を作ります。そして様々な工程と流通を経て、畑での本来の姿とは少し違った野菜がスーパーの店頭に並びます。そこには虫喰いキャベツやイビツなキュウリ、色ムラのある枝豆は並びません。一概に良し悪しということでなく、自分自身で野菜を作ることを通じてそんな事実を自然にはっきりと認識します。

そして何より、自分で野菜を育てると野菜本来の味を新鮮な状態で味わうことができます。採りたての野菜は甘みがあふれ、苦味がありません。野菜の苦手な子供たちも自然と食卓のサラダに手が伸びるようになります。農業が身近な産業だった時代はそれが誰にとっても自然な生活リズムだったはずですが、そんな生活に少しだけ回帰してみると、何とも幸せな気持ちになれます。
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2.リラックス・デトックス・ストレスフリー
どんな野菜も最初は土づくりから始まります。しばらく使っていない畑をクワで耕し、石灰を混ぜて中性化し、腐葉土や緑肥をすき込んで柔らかくし、鶏フンなどの有機肥料で土地の栄養をつける。そんな一連の作業は30分もすると汗だくで、たかだか4m×2mのお借りしている土地を全て耕すには半日以上かかり、終わる頃にはもうヘトヘト。でも作業の間たえず漂う土のにおいと手触り、千切れた雑草から漂う青くさい香り、それらが混じり流れる汗とともに日頃のモヤモヤを吹き飛ばしてくれます。

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土や緑に触れていると自然と心が落ち着いてきます。畑での時間の流れ方は、オフィスのそれとはだいぶ異なります。時計に従って作業するのでなく、土や野菜や天候のリズムに人間が合わせていきます。それは人口のものではない自然との対話だからこそ、元々私たち人間が持っていた原始的な時間の流れに、心身がゆったりと和んでいくのでしょう。

その証拠に、畑で作業をした日はぐっすりと深く眠れます。程よい疲れで自然と眠りにつき、睡眠の質も深くなります。聞くところによると、うつ病など精神疾患からのリハビリとしても畑での作業は有効に活用されていて、園芸療法という分野も確立されているのだそうです。畑には、リラックス・デトックス・ストレスフリーの効果があることを体で実感しています。
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3.畑が土日のレジャーになる
野菜は生き物なので、放っておくことができません。少なくとも週に一度はメンテナンスの時間が必要で、植え付け時期はまめに水やりをしたり、保護のためのネットをかけたり、雑草を適切な程度に抜いたり、成長に合わせて追肥したり、様々な作業があります。また収穫期にはどんどん出来てくるので、食べ頃を損なわないように収穫します。

必然的に土日のどちらかは数時間から半日程度を畑で過ごします。いつしか子供たちと一緒にレジャーシートとおやつを持って畑へ出掛け、野菜の作業をしては休憩し、まるでピクニックのように楽しんでいます。虫が好きな長男はいつもバッタやトンボ、カマキリなどを追いかけるのに夢中です。また子供たちも畑の作業を通じてクワやカマ、剪定ハサミなど少し危険な道具の使い方を覚える機会になります。土や虫たちとたわむれながら、とても東京とは思えないアウトドアな時間を畑では過ごすことができます。

そんな週末のため、畑をお借りしてからは相対的にレジャー費の支出が減りました。畑には毎月数千円の使用料をお支払いしていますが、遊園地や旅行の支出に比べたら遥かに安上がりです。花の咲く季節には野菜が様々な色の花を見せてくれ、観光地に行かなくても楽しめます。今では家から自転車で10分にある畑が何よりのレジャーになっています。
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4.新たなコミュニティができる
私が野菜づくりを行っている農園は、地主の農家さんが使わなくなった分の土地を「体験農園マイファーム」https://myfarmer.jp/ という民間サービスに委託をし分割してユーザーがお借りする仕組みになっています。行政が提供している市民農園もよいのですが、年度ごとの抽選で打ち切りがありえることや、土地の移動が必要になるなど様々な制約がある場合もあると聞きます。その点で民間の体験農園サービスは連続した取り組みが保証されていて、安心して野菜づくりを行えます。

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同じ農園には30区画程度があり、他のユーザーさんとも時折顔を合わせるので「いい色の野菜ですねー」「何に挑戦してますかー?」なとお互いに声を掛け合って、気軽な農園付き合いになっています。また畑には「管理人さん」が毎週末に来てくれるので野菜づくりのアドバイス・具体的なサポートはもちろん、時にはユーザーを集めた畑でのお食事会を企画するなど、ちょっとしたコミュニティになっています。

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地主のおばあちゃんもとても良い人で、ご自身でも畑の一角を使って野菜やお花を育てています。先日おばあちゃんから枝豆のおすそ分けをいただきましたが、農業歴数十年の腕前と私たち素人との差は歴然としていて、畑のおばあちゃんの凄さをあらためて認識しています。こうして、職場と自宅のほかに畑がサードプレイスの機能を果たしてくれ、新たな居場所となり生活全体のクオリティを高めてくれます。


さて、いかがでしたか? 良いことづくめの貸し農園、気になる皆さんはぜひ始めてみてください。
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ボランティア精神はいいけどボランティア労働はやめた方が良い、という話

働き方 ソーシャル
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ボランティア精神はとても大切だと思う。個人の欲求や都合のために働くだけでなく、地域や社会の課題にも目を向け頭と手足を動かしてそこに関わろうという主体性の発揮、その心がボランティア精神に他ならないからだ。

ところで一般的なボランティア労働=無給ボランティアの場合、その活動を支えるのはそこに参加する個人の努力や我慢で成り立っている。つまり、何らかの事情で努力や我慢が出来なくなったとき、その役割を継続的に提供することはできなくなる。

無給ボランティアである限り、その場に参加するかどうかの最終決定権はボランティアをする側にある。なので全体として、安定した労務の提供ができづらいという事実がある。

例えば全国で活発に広がる「子ども食堂」の取り組み。素晴らしい活動なのだけれど、聞こえてくる運営側の声にはやはり人手が足りない、当日にならないと何人が手伝えるかわからないのでシフトが組めない、従って告知できる上限の食事数は安全目に出す、などがあるようだ。

また震災などの大規模災害での現場で、無給ボランティアが活躍する一方で、トラブルの声も聞こえる。無給ボランティアとして労務を提している自分は偉いのだから感謝されて当然だ、全て被災者はありがたがってくれるはずだ、だから多少の我儘を言っても許されるはずだ、という誤解がそこにはあるように思う。

そもそも、災害の被災者が無給ボランティアに頭を下げる、あるいは気を遣うこと自体が本来ではないし、それはストレスにもなる。無給ボランティアでやってくれたことだから、本当は不要だけどそうは言えないと被災者が我慢し隠しておくなど、できれば避けたいものだ。

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似たようなことは平時にも起きている。プロボノという、職務特有の知識やスキルを社会貢献に活かすボランティアの一種としての取り組みがある。例えばwebや広報活動に詳しい業種のサラリーマンが何人か異なる所属の人たちとチームを組んで、勤務時間外にNGO団体のwebサイトを刷新したり、会員募集のパンフレットを新たに提案し作成するなどの活動に取り組む。

主催する組織により多少の差はあるが、プロボノ参加者は基本的に無給で、開発に必要な経費のみが団体持ちとなる。NGO側から聞こえてくる話として、参加者は勤務を終えた後に活動するので、打ち合わせの時間が深夜にまで及んだりする。それに毎回合わせるのは負担だ、しかし無給で頑張ってくれているので文句は言えない。あるいは制作物の判断についてプロボノ側とNGO側で意見が異なった時に、無給でやってくれているので本当はこうして欲しい、と思っても譲る部分がある、などの話を実際に聞く。

何より重要なのは、無給ボランティアはその労働自体の価値を限りなく低下させる可能性もある、ということだ。2020年東京オリンピックパラリンピックでは、日本を訪れる大会関係者や外国人旅行客向けに数万人とも言われる運営・通訳ボランティアを募集する。何度も研修を受け時間拘束されるが、研修も実際の活動も、交通費を含め自己負担の無給ボランティアなのだそうだ。

本来通訳というのはれっきとした職業であるし、提供サービスに対価を支払うべき技能・職能であるはず。それがいちどきに大量に訪れる人々へ対応できるプロの通訳が確保できないから、一般市民から無給ボランティアを募るという発想になっている。

では東京オリンピックパラリンピックを終えたらどうなるか。長期的には職業としての通訳の価値が下がるように思えてならない。他のイベントやビジネスシーンで、通訳は無給ボランティアでもできるものだから多額の予算は組めない、できるだけ安く、となるのではないだろうか。

***

一方、身近なところに目を向けるとそれぞれの自治体や地域で「市民協働」を進める取り組みがある。何年も前から市民参加しましょう、行政と市民が手をつないで課題解決しましょうと言っている。高齢者、障がい者、子育て、防犯、環境保全、農業、食の安全、空き家、などなど地域の課題は山のようにある。

その時に無給ボランティアを前提とした市民協働という働きかけをよく見かけるが、それは市民協働が進まないどころか後退させる可能性があると感じる。社会や地域の課題はそれ自体が重ければ重いほど、それに関わる人たちの役割も重くなる。

個人としてはリスクを取ってコミットするのだが、果たして自己犠牲の精神を貫き、無給ボランティアとして課題解決の道筋を描き、最後まで実行できる人は何割いるのだろうか、とても疑問だ。

社会貢献だから無料でやるべきだ、という暗示からはそろそろ目を覚ました方が良い。社会貢献事業は、行政サービスや企業活動の狭間で見落とされた社会の課題を取り上げるのだから、それ自体の重要性や役割の重さをそもそも有している仕事であるはず。

社会貢献というフレーズを、資金調達の手を抜く理由に使ってはいけない。本当に必要な役割であれば、人はそこに資金を提供するのだということは、既に数多く成功しているクラウドファンディングの事例が示している。

仮に全く同じ役割で、有給ボランティアと無給ボランティアの2つの求人があったらどちらに応募する人が多いだろうか?答えは明白だ。そもそも必要な対価をきちんと支払うことが当然だし、その資金を確保するために寄付金や支援金だけでなく、その役割自体で市場から資金を得られる循環の仕組みを考えることも必要だ。

***

また、少し視点を変えて個人の立場からボランティアとキャリア形成の関係について考えてみる。キャリアの自立に、無給ボランティアは直接的には影響しない。あくまでも対価を得られる役割にのみ、周囲はキャリアとしての価値を与える。職務経歴書に無給ボランティアを書いても、それはボランティアでしょ、の一言で終わるだろう。

先に述べたように、ビジネスパーソンが勤めの仕事の傍で「二足のわらじ」として、本業で保有しているスキルを活用するプロボノという頭脳提供型の無給ボランティアがある。その活動自体を否定するものでは決して無いが、その労働が無給であり続ける限りそれが参画している個人の自立的キャリアに発展することは難しいのではないかと考えている。

その理由は明白だ。無給ボランティアという状態を客観的に表すと、例えば労働単価が本来1万円の仕事を無給ボランティアで行ったとすると、働いた側が1万円分の対価の受け取りを拒否したことと同じ状態なので、理屈上では受益者に対して1万円を「支払って」その仕事をしたことと同義になる。

一方、通常のビジネスとして労働単価1万円を受け取り受益者の望むサービスを提供する場合は、文字通り受け取った1万円の対価に見合う内容が求められる。ここには絶対に埋まらない、限りなく広い差がある。

対価を支払って経験を得るのと、対価を受け取って経験を得るのでは、評価に対するシビアさは真逆だ。そして、通常のビジネスにおけるキャリア形成で求められるのは、対価を受け取りそれに見合ったサービスを生み出し提供できる経験や能力があるか否か、ということだ。

誤解いただきたくないのは、無給ボランティアだと全く無駄なのかというとそうではない。社会の課題に目を向け本業外でそれらに取り組むことは賞賛に値するし、何らか自己成長につながることだろう。しかし同様のサービスに付加価値を付けて生み出し、それに喜んで対価を支払う顧客を得る経験と比較してみると、キャリア形成の観点においてはその効果の差を埋めることは難しい、という客観的な事実があるだけだ。

アメリカと日本の寄付文化やNGOセクターの置かれている環境の違いが言われて久しいが、なぜ大学生の就職活動ランキングでNGOGoogleより人気かというと、その一因は給与が高いからという点も見逃せない。その社会的な労働に、社会が経済的な価値をはっきりと与えている。そして意欲と能力ある学生が優れたNGOスタッフとなり、給与を得ながらより多くの寄付金や賛同者を集める仕組みを成長させるという順回転を生み出している。

***

繰り返すが、ボランティア精神はとても大切で、個人の生活のためだけではなく地域や社会の課題に目を向けそこに参加することの価値はとても高い。しかしそれを実践している人はまだまだ少ないので、1人でも多くの人たちに関わって欲しいと願っている。

同時に、1人でも多くの人たちが関わるためには、無給ボランティアでは限界があり、広がりの可能性は限りなく低いということだ。昔と変わらない同じ人たちが、同じ場所で同じことを何年続けても、現状と同じ成果しか得られない。

社会をより良く変えていくためにボランティア精神を持ちながら、スタートは無給ボランティアでも良いが有給のビジネスとして地域の課題に向き合うベクトルを持つこと。シビアだが意味あるチャレンジを1人でも多くの人が行うこと。そういう価値観を共有できる社会にそろそろ変わっていくべき時期にきているのでは、と感じている。

好評につき増席【12/18(日)】問題解決力を高める 発想力・思考力講座

ビジネススキル セミナー・講座
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告知です。問題解決とかロジカルシンキングは難しくてわからない!アイデア発想なんか大の苦手!という私自身が苦難の末にたどり着いたシンプルな習得メソッドです。ポイントは、楽しみながら学ぶこと。お待ちしています。


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「問題解決力を高める 発想力・思考力講座」

新規企画や業務革新でより質の高い成果を得たいビジネスパーソン。突き抜けたイノベーション人材を育成したい企業・団体の人事担当者。起業を目指し多彩なアイデアを創造したい専業主婦。本講座のテーマである「発想力・思考力」は天性の資質だけではなく、その方法論を学ぶことで十分に能力を習得することができます。発想力・思考力それぞれについて具体的なケース課題に取り組み、問題解決力を高める講座です。

これまで企業・団体内でのクローズド研修として限定開催してきましたが、今回初めて公開講座として実施します。

対象:社会人(専業主婦含む)、就職を控えた大学生・大学院生

定員:先着12名

受講料:2,000円

日時:2016年12月18日(日曜日)14:00〜16:00

会場:武蔵野プレイス 3F スペースD(武蔵野市境南町2-3-18)
*アクセス JR中央線 武蔵境駅 南口すぐ

申込:専用webサイトもしくは下記メールアドレスまで「氏名、職業、連絡先(携帯電話番号)」をお送りください。

【申込webサイト】

【宛先・問合せ先】 skillnote111@gmail.com



講師:芦沢 壮一(あしざわ そういち)スキルノート代表/ファシリテーター
1997年一橋大学社会学部卒(教育学専攻)。金融機関に入社後、人材開発部門でビジネススキル研修の開発・講師など企業内教育の推進に携わった経験を活かし、自治体や非営利団体・企業等との連携による公開講座や研修を実施。専門はコミュニケーション、ロジカルシンキング、キャリアデザイン、女性活躍支援。「戦略的複業=パラレルキャリア」の実践と普及を目指している。