skillnoteのブログ

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場所を奪われるという経験から気付いた「同時性」の意味

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僕たちが経験したこの一年は確実に世界史の教科書や医学書だけでなく、社会論や芸術に至るまで様々に記録されていき、いずれ世の中が落ち着いた頃に人類の歴史の1ページとして振り返られる出来事になるのだろう。それまで日常にごく普通に存在していた「場所」を奪われる、ということがこんなに辛くストレスを感じたり渇望感を抱いたりするとは、こうなってみて初めて気づいた方が多かったことと思う。

「場所」が私たちに与えていた影響、もたらしていたものは元々何だったのだろう。小学生が通学し教室の自分の席で授業を受けること。サラリーマンが電車通勤から職場のデスクに着いてメールチェックすること。退勤後の居酒屋で共通項のある会話を交わすこと。子どもの習い事の送り迎えで駐輪場に立ち止まりママ友と話し込むこと。趣味の習い事で学びを得たり仲間とランチを共にすること。週末の旅行で見知らぬ土地の景色や空気を感じ、美味しい食事をいただくこと。遠方への移動の過程で高速道路や新幹線の車窓に移り行く景色そのものが自分を違う場所へ運んでいるという想いを深めること。

場所を変えるという行動そのものが刺激であったり、その場所を「共にしている」相手がいることが、私たちの心の中に何らかの認識をもたらしている。満たされたり不満だったり受け止めはその時々で異なるのだけれど、その場所で過ごす時間そのものに何らかの意味や価値を感じ取っている。流れる時間の同時性を誰かと共有することでなお一層、生きている実感を得ていたことに今気づく。

おそらく今後もしばらく継続するであろう「人と会うことに制約のある社会」をどのように受け止めるのが良いのだろうか。できるだけストレスフリーで上手に向き合いやり過ごす方法がわかれば、幾分かの助けになるだろう。

当初私自身はコロナ禍による外出制限を以前漫画で読んだ「核戦争後のシェルター生活」に似ているな、と捉えていた。外に出られない、食料備蓄の重要性、通信手段は何らかある、家族と過ごす時間が相対的に増える、長い隔離生活の中で健康維持が課題になる、学びや仕事のやり方が変わってくる、等々。

実際に一年を過ごしてみて、多少の違いはあるもののその想像と似ているなと感じる面もあったり、少し異なる部分もあった。コロナ禍では口にする食事そのものはデリバリーや自炊により美味しくいただける機会に恵まれていた。核戦争後の世界よりは、楽しめる余地は多いのだろうと思っている。

一方で、人と合うことに制約のある社会の中では多くのイノベーションが生まれた。例えばオンラインが私たちにもたらしてくれた気づき・創造性は今後の社会をより良くしてくれることは間違いない。少し考えてみたのだが、体感的にオンラインに価値を感じる理由や要素として幾つかのことが挙げられると思う。

・他者と異なる場所からであっても、その日その時という限られた同じ時間を共有できること

・モニターからほぼ同一の映像を介することで、表情や声、文字(チャット)、描画(ホワイトボード)を共有することができ、同じ時間を共有していることをより意識できること

・オンライン内で得た知見やスキル自体に価値があればなおさら、その学びを他者と共有し刺激と新たな意欲を得られること

・通常では同じ場所にいることが難しい相手、例えば地理的にもしくは何らかの属性の違いがあったとしても、それらの経験を共にできる可能性がオンラインでより高まること

つまり、物理的な「場所」で他者と共有していた同時性に限りなく近い体験をオンラインという仮想の場所でも得られている。それだけでなく設定のやり方によっては現実の場所以上の価値を感じる機会もあるということに、この1年間の経験を通じて気づくことができた。もちろん、隣に座った仲間と握手したり肩を抱き合ったりというフィジカルな接触は不可能なのだが、その効果と同等かそれ以上の効果をオンラインにおいても得ることが案外可能なのだ。

その時を誰かと一緒に過ごすこと=「同時性」によって私たちは理由なく満たされ、安心し、喜び、心の安定を得ることができる。それは多くの人が実際に今の制約ある生活を通じて強く感じていることだろう。その同時性は実際の場所かオンラインかどうかは案外大きな問題ではなく、そもそも私たち人間は五感を通じて脳に刺激を得ることでそれを「生身の体験」として記憶している。それが目の前に演者がいる舞台であっても映画館のスクリーンであっても、テレビドラマであってもスマホYoutubeであっても差異は無く同じ体験として吸収している。元々、オンラインを受け入れるのに十分な体験や環境が私たちの周囲にあったのだ。

場所を奪われるという経験から気付いた「同時性」の意味は、私たちに新たな場所を生み出す無限の可能性に気づかせてくれたこと、と考えている。「場所」は決して奪われてはいなかったのだ。常に、私たちの周囲には意味ある場所を生み出すチャンスが広がっている。誰かと同じ時間を過ごしたければ、創ればいい。手段は問わない。そんな主体的な生き方を選択していくと、きっとどんな環境下でも日々を楽しんで過ごして行くことができるだろう。

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