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「仕事のコントロール度が低い」だけで人は心身に異常をきたす、という実体験

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今日は勤めの方の仕事にまつわる出来事に関して自分が最近経験したことについて書いてみようと思います。
 
新卒からサラリーマンになりちょうど20年が過ぎた節目の春先に、それまでまったく未経験のシステム開発部門へ配属となりました。
 
そこでの専門性に関わる保有スキルは特段無く、また管理職でもないのでどんな役割なのだろう、人事の配置ミスでは? などと当初は半信半疑でした。
 
行ってみれば管理者の下に着き、チームの潤滑油的な立ち位置でプロジェクト全体と自部門との調整を行ったり、また自部門に関わる課題解決の道筋をつけたり。それからメンバーにとっての障壁を取り除くお手伝いをしたり、その他周辺業務の雑用を担ったりする、まぁ「何でも係」という役割に落ち着きました。
 
それはそれで必要な役割ですし、日々を過ごして行く中で自分なりに立ち位置や振る舞いもおぼろげに分かってきたので、仕事の全容や詳細が理解できないなりにも楽しんでおりました。
 
自部門のチームメンバーの人間関係は、過去20年に経験した幾つかの組織と比べても良好で、皆が協力して明るい雰囲気が常に漂う理想的なものでした。ただ、仕事そのものに対する一つ一つの要求度は高く、スケジュールの厳しさと併せて過去の経験と比しても「激務」と言われる範疇に入るかと思います。
 
ふと振り返ると、仕事の要求度合いが高い職場は仲が良く、割と余裕のある職場は人間関係が悪くなる傾向にあるように思います。忙しいとケンカする暇すらなく、課題解決のためには自我を抑えて仲間と協力することが最善だから、という仮説を思い立ちましたが、それほど外れていないように思います。
 
そして着任から4ヶ月くらいの間、わからないことは人に教えを請い、突発案件には呆然としながらも善意の助けをいただき、また難解な事案はモヤモヤのまま出来る方へとバトンタッチし、という何とも予測不能な日々を過ごしました。
 
そうして疲労の蓄積を感じながら待望の夏休みをようやく迎えた初日の夜、ふと体中にムズムズと違和感を覚え、どうにも収まらず翌日曜日に休日診療所へ駆け込むと「ストレスと疲労によるじんましん」との診断をいただき、一週間をうまく表現できないような、過去経験したことの無いかゆみや疲労と共に、ほぼ寝込んだまま過ごすことになりました。
 
その後仕事に復帰した後も繰り返し現れては消えるじんましんと付き合う日々が続き、幸い悪化することはないとはいうものの一喜一憂の毎日で、それから1ヶ月半が経過して今に至ります。医師からは、まぁ長くかかるから焦らずゆっくり治しましょう、とのアドバイスと投薬を受け、仕事量を調整しながら最近ようやく体調を取り戻しつつあります。
 
そんな時に勤務先で「ストレスチェック」の機会がありweb診断したところ、「職場のコミュニケーションや家族の理解は十分だが、仕事そのものに対するコントロール度が著しく低いため、ストレスを感じることでしょう。早めにリフレッシュして心身の健康を保つことを心がけてください。」との診断結果。
 
うーん、ズバリだが一歩間に合わなかったかな笑
 
ともかく、ポイントは「仕事のコントロール度」なのかと、たいへん腑に落ちる結果に納得しました。つまり私たちが普段無意識にやっていることとして、
 
・この仕事ではだいたいこんなタスクが発生する
 
・時折、突発案件が来ることも覚悟している 
 
・自分の出来る範囲はここまてでで、そこから先は出来ないし役割でもないのでやらない
 
・この課題なら誰々さんと誰々さんに聞けばわかるはず
 
・おおよそこの山は○日間で片付くはず
 
・自分の権限としてここまでは押せて、そこから先は無理
 
・自分はこのように振る舞えば、仕事の成果も人間関係も許容範囲に収まる
 
みたいな事を、出来事が発生する瞬間瞬間にやっているのですよね。それで、凡その「アタリ」をつけて、予定調和を生み出すというか、安心して役割に没頭できるわけです。
 
そうやって地ならしをしておくことで「仕事のコントロール」を行うことができ、難解な役割であっても予測精度を高めながら、ある意味トラブルも楽しんでゲーム感覚でクリアしていき、同時に一定の達成度も感じたりすることができるのです。
 
それは会社の仕事だけでなく、家事育児も同じようなことが言えるようにも思います。乳児の世話がなぜたいへんかというと、いつお昼寝をしていつ目覚めるのかが事前にはわからないから、という母親の声を聴いたことがあります。仮にお昼寝時間が事前にきっちりと予測やコントロールできるのであれば、目の前の苦労も「あと30分で寝てくれるまで頑張ろう」という精神状態になりますが、実際はそうではないのでコントロール不能の疲労感を感じるわけです。
 
ということで、人は「仕事のコントロール度が低い」だけで心身に異常をきたす、という体験を現在進行形で行っています。そして面白いもので、受けるストレスと体の反応がリンクしていて、「コントロール度の高いこと」をやっている間はほとんど症状は出ないか、ごく僅かなのです。

趣味の畑仕事や、ライフワークとして続けているビジネススキルや多様なキャリアに関する講座(skillnoteの活動)など、若干ペースは落としながらもこの間にほぼ支障なく出来ていますし、逆にその時間を過ごすことにより心身の回復に貢献しているように実感しています。

むしろ後者の関係でお会いしている方々には何のこと? という印象かもしれません。それだけ、自分で自分の行動を決めることができる、決裁権があることには意味があり、ゆえにパラレルキャリアという選択には相応の価値がある、ということにも繋がります。(この点はいつもこのブログでお伝えしている通りです)
 
とりとめのない話になりましたが、いま自分自身に起きていることを人生における貴重な経験の時間として受け止めながら、気長に回復を目指していければと思います。