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人生はハンデ戦、の本当の意味

よく、人生は平等ではなくハンデ戦だという言い方があるが、それは本当はどんな意味なのだろうか。例えの元である競走馬などのハンデ戦というのは、より走力の高い馬が重い斤量(おもり)を背負って競うことにより、基本的には全馬がゴールで横一線になるようにハンデキャッパーがそれぞれの馬に異なる斤量をあてがうものである。

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ところが私たち人間の世界においては走力(財力、経験、人脈など)の高いものがより軽く、また走力の低い者がより重い斤量を背負っているような印象がある。いわば、逆ハンデ戦だ。それではなかなか逆転の結果は生まれ辛いだろうし、将来が見通せてしまうようなある種の諦めにも繋がっていく。

かの劇作家、寺山修司の言葉に「競馬が人生のようなのではない。人生が競馬のようなのだ」というものがある。その言葉に素直に従うならば、本当は人生においても持てる者はより重く、持たざる者はより軽い負担になっているということのかもしれない。

だから、人生はハンデ戦というのを今日からはポジティブに捉えたいと思うのだ。誰にも等しくチャンスがあり、ゴールを目指すことができる。そしてそのゴールはたった一つではなく、様々な種類がある。 1,200mの短距離戦から3,000mを超える長距離戦まで、あるいは芝コース・ダートコースや左回り・右回りなど、それぞれが目指す先は多様なのだ。

人生はハンデ戦という平等の舞台で、誰にもチャンスがある。だから、存分に駆け出そう。