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なぜ会社員は「出世に興味がない」と言ってはダメなのか、本当の理由

こんな記事を興味深く読みました。


タイトルを見て、直感的に「まあそうだよな」と思ったのだけれど、記事を読んでみて、その理由は私自身のそれとはだいぶ違っていました。

この記事で伝えている理由を要約すると、「本当に全く興味が無い人はごく僅かで、ほとんどの人はうちに秘めた思いを持っている」から、発言が周囲に「負け惜しみ」と見なされ、「やりたいことができずに、誰も自分を重要な人物として見てくれなく」なるので「つらくなる」から、というものだとか。

確かに、そういう人もいるかもしれない。でも、そうでない人も多いように感じています。つまり、心の底から出世という選択をしたくないと思っている人たちです。20代のうちだけでなく、30代、40代になっても。

そういう人たちの表現方法は様々です。あからさまに「出世なんか興味無い!」と高らかに宣言して、明るく自分の価値観優先の人。あえて他人には言わないまでも、地道に自分のやりたいことを進めていて、究極の選択の際は自分の望む方を選ぶ人。あるいは、出世に興味を失いながらも組織に対する何らかの義務感を感じ、その立場を本心でなくとも受け入れている人。

しかしながら、割合としてはまだまだ出世に興味がある人の方が多く、それは年代が高ければ高いほどその傾向にあるでしょう。その中でなぜ「出世に興味が無い」と言うべきではないのかというと、それを強く主張することが「あいつは異分子だ」と組織そのものから弾かれてしまうことにつながるからだと、私は考えています。

「出世に興味が無い」と公言すると、「あいつはやる気が無い」、あるいは「何か他のことに気を取られていて、マジメに仕事をしない」などと、批判的に見られてしまいます。決して本人はそんなつもりはなくても、そのように評価されます。組織への貢献を放棄している、とんでもない奴だ、と。もう一歩踏み込んで言うならば、「我々のルールを侵す奴は許さない」ということです。

ではなぜ、組織はそのように出世に興味が無い人を否定してしまうのかというと、特に日本の典型的な大企業の場合、「出世することでより大きな仕事をし、責任を果たし、貢献する」というモノラルの価値観しか組織の中に育っていないからです。いわば、たった一本のレールを皆が目指してきたのです。だから、そのレールを全力で走ろうとしない奴は許せない、その価値観自体が受け入れ難いのです。

翻って考えると、出世に興味が無いと言っている人たちに対して、そうでない人たちは、無意識の恐怖感や、羨望といった気持ちがあるのかもしれません。なぜならば、出世という坂道を駆け上がる先に安住の地は無いのかもしれないと、誰しもが薄々気づき始めているからです。とはいえ、他のレールが一体どこにあるのか?自分でレールをひくことができるのか?不安だらけの中では消極的にこれまでと同じレールを走ること、つまり出世を目指して働くことを選択することしかできません。その脇で「一抜けた!」とされてしまっては、不安でたまらなくなって当然です。

会社員が「出世に興味が無い」と言ってはいけない本当の理由は、それが相手の根源的な価値観を否定することになるからです。周囲から嫌われ、排除されることを望まないなら、あえて公言せずに自分の中で留め、しっかりと自分の選択を行えば良いのです。出世以外の、働く上での新たな価値観を確実に自分のものとして育てることが、本質的な働く満足度を高めていくもの、そんな風に私は考えます。




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