なぜ会社員は「出世に興味がない」と言ってはダメなのか、本当の理由
「出世に興味が無い」と公言すると、「あいつはやる気が無い」、あるいは「何か他のことに気を取られていて、マジメに仕事をしない」などと、批判的に見られてしまいます。決して本人はそんなつもりはなくても、そのように評価されます。組織への貢献を放棄している、とんでもない奴だ、と。もう一歩踏み込んで言うならば、「我々のルールを侵す奴は許さない」ということです。
ではなぜ、組織はそのように出世に興味が無い人を否定してしまうのかというと、特に日本の典型的な大企業の場合、「出世することでより大きな仕事をし、責任を果たし、貢献する」というモノラルの価値観しか組織の中に育っていないからです。いわば、たった一本のレールを皆が目指してきたのです。だから、そのレールを全力で走ろうとしない奴は許せない、その価値観自体が受け入れ難いのです。
翻って考えると、出世に興味が無いと言っている人たちに対して、そうでない人たちは、無意識の恐怖感や、羨望といった気持ちがあるのかもしれません。なぜならば、出世という坂道を駆け上がる先に安住の地は無いのかもしれないと、誰しもが薄々気づき始めているからです。とはいえ、他のレールが一体どこにあるのか?自分でレールをひくことができるのか?不安だらけの中では消極的にこれまでと同じレールを走ること、つまり出世を目指して働くことを選択することしかできません。その脇で「一抜けた!」とされてしまっては、不安でたまらなくなって当然です。
会社員が「出世に興味が無い」と言ってはいけない本当の理由は、それが相手の根源的な価値観を否定することになるからです。周囲から嫌われ、排除されることを望まないなら、あえて公言せずに自分の中で留め、しっかりと自分の選択を行えば良いのです。出世以外の、働く上での新たな価値観を確実に自分のものとして育てることが、本質的な働く満足度を高めていくもの、そんな風に私は考えます。