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「残業ゼロ」が本来は正常

巷で残業「代」ゼロに関する論議がなされています。

 

「残業代ゼロ」一般社員も 産業競争力会議が提言へ:朝日新聞デジタル

http://www.asahi.com/articles/ASG4P5142G4PULFA00Y.html

 

私なりに、残業代廃止問題の解説をしてみます。まず「残業代がなくなるとマズイ」という代表的な意見についての見解から。

 

1.もともと残業代が加算されて初めて適正な給与水準だから、減収は困る

 

2.残業代がなくなると、企業が労働者に残業させるデメリット(割増賃金)が無くなり、さらなる長時間労働を誘発する

 

まず1.ですが、これはよくある「言い訳」。何らかの問題を考える時、現状こうだから出来ない、という「フォアキャスト思考」で解決はしないもの。あくまでも「本来こうあるべき」という根本的な視点に立って問題を考える「バックキャスト思考」が大切。残業代を前提とした給与体系がおかしいのであれば、その見直しから問題を考えることが必要です。また、そもそも残業時間中に残業代のことを考えて仕事はしていないでしょう。残業代が支払われるから残業をしよう、とは考えないですし、本来残業と給与の問題は同一ではありません。

 

2.は、そもそもその指摘自体が実態としてあるのか、やや疑問です。企業にとって従業員の残業時間管理は、労働法遵守の側面からの動機づけによるものです。通常「人件費管理」は職場の上司はやらないですよね。また、仮に残業代ゼロになったとして、有りの時に比べて残業を指示しやすい、というのは論理的に明らかにおかしいし、ありえないとも思います。従って、2.の主張自体は空論だと私は判断しています。

 

さて、問題の根本は何かと考えると、それは給与と残業代の関係ではなく、残業に関して組織に長年はびこる誤った「労働観」自体の問題だと、私は考えています。

 

・上司より早く帰るのは失礼

・同僚全員仕事してるのに自分だけ帰るのは気まずい

・仕事がまだ終わってないから帰れない

・残業している人の方が、していない人より頑張っている気がする

・仕事の責任を果たすためには、残業してでも最後までやり切るのが当然だ

・それなりの給与をもらっているので、多少の残業は仕方ない

 

これらのこと、いくつ当てはまりますか?もちろん、心情的にはよくわかります。でも、これら全て「間違った労働観」です。こんなことを気にするために、企業に雇われたのですか?違いますよね。サラリーマンといえ、プロフェッショナルであればこそ与えられた資源、つまり時間や費用の枠内で成果を生むことが求められています。「残業ゼロ」が本来正常であって、その時間内で求められる成果を発揮することが、仕事の原点です。これを「キレイごとだ!」というのは、キレイごとです。私たちを取り巻く状況は切迫しているのです。

 

そして何より、残業するということは、その後の時間に本来なすべき行動、果たすべき役割に「遅刻する」または「放棄する」ということです。残業代の有無にかかわらず、定時退社して家事育児に参加する。自己啓発の時間を持ち将来ヴィジョン実現への道筋を具体的にする。土に触れて自ら米や野菜を作ってみる。関心のある社会活動に参加しそこで何らかの役割を持ち「2枚目の名刺」で活動する。これらのようなことに時間を使うことを重んじる文化の方が健全で、私たちが生きやすい社会です。これらの経験は周りまわって仕事にも良い効果をもたらします。何より、組織に属している時間が人生の中心ではありません。人生を有意義に過ごしたいならば、本来自分が優先すべきと思うことに、優先的に時間を使うべきなのです。それは、制度の問題でも社会の慣習の問題でも、ましてや残業代の問題でもありません。自分の労働観、どのように働き生きていきたいかという本質的な問いなのです。

 

残業代がゼロになると〇〇、という表層的な議論はもうやめましょう。残業をゼロにしましょう。それが、私の提案です。自分一人の行動から、それは実現できます。

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