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20年経ってようやくお酒を飲めない体質に気がついた、という話

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1.飲めない体質への気づき

昨年の秋にふと思い立って、それまで約20年の間、弱いながらに嗜んでいたお酒を止めることに決めた。直接のきっかけは昨夏から始まったアレルギー体質がお酒との相性が今ひとつだったからなのだが、全く飲んではダメというほどではない軽度なものなので、それはあくまできっかけの一つに過ぎない。

 

以前からずっと不思議だったことは、なぜ皆んなは飲み会で結構たくさん飲んだ後の帰り道、陽気に話しながら歩けるのだろうということ。僕は飲んでいる最中は気分晴れやかなのだけど、その後すぐに体全体に気だるさが蔓延して疲労感が蓄積していき、自宅に帰ると何もできずに倒れ込むのがいつものこと。大抵は翌朝ひどい頭痛で目を覚まし、体調次第ではさらに翌日まで二日酔いを引きずることさえあった。ほんの、生ビール2杯と焼酎水割り1〜2杯である。冷酒に口をつけようものなら、その比ではない。

 

ずっと長い間「お酒を飲むということは、こういうことなのだ」と勝手に思い込んでいたのだけど、どうもよくよく周囲に話してみるとそうではないことにようやく気付いた。もしかして、自分はアルコールを受け付けない体質なのでは? 44才にしてようやく「飲めない派」であることを自覚したのだ。時間かかり過ぎでしょ。

 

社会人になって通常のお付き合い、コミュニケーションとして「飲み会」の場は相手を知り打ち解けることができる機会として、それなりに有意義だと思う(義務的な飲み会は除く)。これまでは参加していながら「飲まない」ことが場を白けさせてしまうのではないか、相手に失礼になるのではないか、と思い無理をして飲み続けてきたというのが無意識下の行動だったように今振り返れば思う。

 

2.飲まなくても全然問題なかった

それで、昨年の年末年始あたりからあらゆる場でお酒を飲まないようにした。元々飲めないところを無理やり飲んでいただけなので、体がアルコールを欲することや、禁断症状のような辛さは皆無だった。遡ること12年ほど前、それまで10年間吸っていたタバコをやめた時はそれなりに「また吸いたいなぁ」という思いが湧き上がる瞬間は何度かあったので、ということはお酒にはまったく依存していなかったということになる。

 

数ヶ月するとさらに変化があり、毎日朝起きた時の気分や体調が明らかに以前よりも良くなってきた。徐々に時間をかけて、体中からアルコールの残骸みたいな何かが抜けていく、そんな実感が日々あった。体が少しずつ軽くなっていき、気持ちも晴れやかな感じ。今までどれだけ無理してお酒でリラックスを得ているつもりだったのか、本当に不思議でならない。思い込みというのは恐ろしいものだ。

 

話したい相手との飲み会には参加するので、そのたびに「お酒やめたんですよー」という前置きに、それぞれの反応をいただくのだがそれも最初の一言だけで、宴が始まってしまえば相手のグラスの中身が何なのか、それがお酒なのかノンアルなのか、人はさほど気にもしていない、ということもわかった。昨今の、お酒の強要はやめようという社会全体の同意も後押ししてくれて、お酒を飲まなくても場を白けさせることはないのだと知った。

 

3.良かったこと、発見したこと

ノンアルコール派の人が世の中でも増えているのか、最近のお店では案外豊富なノンアルメニューを用意していることもある。手の込んだこだわり材料のカクテル風があったり、「全ての飲み物はノンアル対応できます」と書いてあったり。僕が一番好きなのはただの「炭酸水」。これはお酒をやめる前からビールがわりに「晩酌」しているものなので一番しっくり来る。最近は炭酸水がメニューにある店も増えてきた印象。ちなみに、トニックウォーターは甘みが加えられた炭酸水なので、好みによるかなと思います。

 

一番の発見、良かったことは「飲まなくても飲み会は楽しい、むしろ以前よりも」ということ。酔わずに頭がクリアな状態を保って会話に参加できるので、話す内容が伝わりやすくなったり、相手の言いたいことを理解したり場の雰囲気を察して話題を選んだりすることが前よりも容易になった印象。元々、お酒の力を借りなくてもコミュニケーションは好む性格でもあり、酔っ払い相手についていけないなぁ、などの戸惑いは一切ない。これは、お酒をやめてみて発見したこと。元々シラフで盛り上がれる派だったのかという、新たな気づき。

 

4.これから

というわけで、まさか20年も自分の体質を把握できてなかったとは、我ながら面白い体験だった。またこれからも、思いがけない発見が思いがけないところに現れる、そんな時間を過ごしていければ、人生はずっと楽しいのかもしれない。おしまい。