「コンテンツを持っている人」の話し方 6つの特徴
誘われたランチや飲み会で最初は相手に合わせ話に付き合い、やや退屈を感じながらもいつかは意味ある話題に変わるとだろうと期待していると時間がだんだん経過していきそのまま終わり、という経験を何度か繰り返した。
特にカイシャ付き合いの飲み会というのは、凡そ上司のグチや社内の人事異動や噂話、せいぜい日本の景気とスポーツの話題くらいである。また、学生時代の友人との久しぶりの再会に気持ちを高ぶらせたものの、意外なほど話がつまらなくアレこんな奴だったっけ、と記憶をたどった経験は皆さんにもあるだろう。
つまり、コンテンツを持たない人との時間はムダに終わる、というのが最近の持論だ。コンテンツというのは自分の手で直接手がけ生み出している、何らかの製品やサービスや機会や文化のことだ。サラリーマンか事業主かどうかは関係なく、コンテンツを生み出す主体である人の話には共通点がある。
1.話題の一つ一つが具体的である。
2.いつも、より良いものを探している。
3.批判や否定よりも、他者を認めることから何かを見出す。
4.相手の理解に合わせて、自分の引き出しを選ぶことができる。
5.どうやるかではなく、何をやるかにフォーカスしている
6.話さない、という選択肢を常に持っている。
こんな人たちとの出会いはいつも刺激的で、必ず何かを得ることができる。最近私が有意義な時間を過ごした相手のそれぞれは、カウンセラーでありマルシェのディレクターであり子供のアトリエの先生であり、また開業を控えた整体師であり広報PRの専門家でありバルーンアーティストであり、若い農家であり街づくりに取り組む主婦だった。
その誰もが自分の手でコンテンツを生み出し、顧客や社会のことをマジメに考え、そして働くことを楽しんでいる。6つの特徴の幾つかを有し、心地よいコミュニケーションを取ることができている。だから専門領域は違えど共通言語を交わすことができ、それは自らの糧となると同時に、異なる何かを自分からも相手に提供しようという自然な想いにつながる。
そのためには自分自身がコンテンツを生み出す人間であり続けることが必要で、程よい自己成長のプレッシャーとなり日々の行動に影響を与える。新たな発想やイノベーションというのは悩みひねり出すものではなく、日常の多様で意味ある付き合いの繰り返しの中で、ふとあるタイミングで姿をあらわすものなのだ、きっと。