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「終わった人」になりたくなければ、いま始めよう

夏休みはケータイの電波も弱々しい森の中のキャンプ場で5日間、のんびりと過ごしました。子供たちと森の中を探検したり川で魚取りをしたりスモークチーズを作ったりしながら、合間の時間に読んだのが「終わった人」(内館牧子著)。深く共感しながらも「終わった人」が今後も大量生産されていくであろう社会は一体どうなってしまうのか、とハラハラしました。ご紹介を兼ねて感想をお伝えします。

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これは長年の銀行勤めを定年退職した主人公が、居場所無くやり甲斐のない日々に苦しみながらも、生き方を模索し様々な出来事に遭遇し、気づきを得ていくお話です。読み進めながら思わず書き留めたフレーズがこちら。


・夫が現役時代に自分のことばかり考えていた間、妻も自分の生き方やコミュニティを固めてきたのだ。

・定年というのは、夫も妻も不幸にする

・それにしても、本当にやることがない。本当にない。人にとって何が不幸かと言って、やることがない日々だ。

・サラリーマンは、人生のカードを他人に握られる。配属先も他人が決め、出世するのもしないのも、他人が決める。

・定年になった男たちは家庭に戻るか、趣味に走るしかないんだなって、実感するよ。

・暇だ、とかやることがない、という言葉で誤魔化してきたが、所属する場のない不安は、自分の存在を危うくするほど恐いものだった。

・今まで誇りにし、俺自身を育ててくれたものがマイナスになるのはおかしい。学歴や職歴は俺を作っている。俺らしさはそこにある。

・「職場と墓場の間」に何もない人生が、いかにつまらないか。それは俺の身にしみている。


この本は出版から約一年となる今も読者がジリジリと増え続けていて、本についている感想ハガキが通常の何倍も送られてきているのだそうです。読者の多くは主人公と同じ定年退職を経験したサラリーマンで、まるで自分のことを言い当てられたようだ、というコメントが多いのだとか。

そう、物語というよりはほとんどドキュメンタリーに近い仕上がりで、作者はさぞかし多くの取材を重ねてリアリティーをこの作品に与えたのだろうと感じます。そして大切なことは、「終わった人」はこれからもどんどん大量生産されていき、それは決して社会にとって良くない影響を与える要因となっていくだろう、ということです。

定年を迎えてから人生のリアリティーに気づくと、そこから過去40年を検証し直してから、その先20年かそこらをデザインすることになります。身体に染み付いた価値観や経験やプライドなど、捨てたり変えたりした方が良いものを柔軟に取り入れることができる人は人生を生き直す喜びを感じることが出来るでしょうが、現実には多くの方が変化を受け入れることができず「終わった人」と呼ばれる存在になってしまいます。

これは単純にサラリーマンが良くなくて事業主が良い、という話ではなくて、働くことに一辺倒になることで人生のバランスを崩し、大切にすべき様々な要素をその時々に置き去りにしてきたことの反動が、定年後一気に押し寄せてくる、ということなのだと理解しています。

働くことはある意味「社会」を遠ざけることができる、意識しなくても生きていける免罪符の要素があります。仕事だから他より優先するべし、仕事を頑張ってるから評価される、そういう積み重ねと表裏一体で、家族の中の役割や地域で得られたはずの立ち位置を一つずつ失っていくのです。

仕事を疎かにして良い、収入を軽視するという意味ではなく、それらと程よいバランスを取って「両取り」する器用さが本来は必要なのに、それを「仕事だから」という理由でサボってきた、そのしわ寄せが定年後に形になって表れる、だからそれに気づいていた家族からは見放される、そういうことなんだと思います。

これらのことに早く気づき、30代40代のうちから働くことに頼り切りにならない、実りある人生を意識して創っていく、それがきっと大切なのだとこの本を通じて気づかされました。かなり宣伝記事風になりましたが、1,700円は決して高くない価値のある一冊として推薦します、ぜひ。

終わった人

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