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「アインシュタインよりディアナ・アグロン」に絶望したならそっとテレビのスイッチを切ろう

昨今、テレビや新聞から流される情報のクオリティが下がったと言われるけれど、それを批判したり問題視する時期はとうに過ぎていると、数年前くらいから感じている。もはやそういう程度のものだと割り切った付き合いをしていく、社会の片隅で偏りのある情報媒体の一つ一つにすぎない。

マスメディアがマス=大衆の総意を代弁し共有する機能は、おそらくバブル崩壊と同時に失っていた。ただ私たちがその後も「社会は(経済的に)また良くなるはず」と妄想を抱き続けるのに乗じて、テレビや新聞があたかもそれが可能であるかのように伝え、それを牽引するという役割を自認し誇大に表現してきただけのことだ。

マスメディア全体を覆う価値観というのはテレビ新聞各社おおよそどこにも共通している、たった一つのモノラルで旧来型の視点だ。

甲子園や大学駅伝に余計な友情ドラマを織り込み、

災害があれば遠慮なく避難所に上がり込み涙を伝え、

地域で事件があれば卒業アルバム写真をしらみつぶしに探し出し、

株価や消費の回復が社会活性化の目安のように日々伝え、

子供達に何かあれば学校や親に子育ての責任をむやみに振り向け、

かと思えば価値の低い娯楽情報を我れ先にと伝え、

そうしてマスメディアが先頭に立ち「社会をより悪く誘導してきた」とすら感じている。

HKTの新曲「アインシュタインよりディアナ・アグロン」の歌詞が女性蔑視だとして批判を集め、これに大学の学長が痛快なコメントを残し話題になっている。

◆女の子はアインシュタインなんか知らなくていい?| 恵泉女学園大学

一連の企画者達はまさにバブル時代のマスメディア的発想を成功体験とし、それを再びマスメディアに載せることを繰り返しているわけで、その意味で価値観は全くブレていないと言える。女性蔑視の歌詞はバブル的発想としては何の疑いもなく作られたものであろうし、結果炎上しても自らの価値観のズレを疑うことはないだろう。(事の本質は重大な人権問題ですらあると私は捉えているが)

おそらく今回の女性蔑視問題にとどまらず、様々な「実態とのズレ」をマスメディアは今後も提示し続けることだろう。なぜなら、マスメディアを構成する人たちの思想、価値観がバブル時代のそれを今なお追いかけ続けているようにしか見えないからだ。

私たち一人一人が現実社会で感じていることや考えていることにマスメディアは追いついておらず、数年の時差を持ってそれが真実と信じ伝え続けている。それは自らが変わることを怖がっている、ということなのかもしれない。無難に役割を続けようと思えば思うほど、社会の変化から取り残されていく。

情報過多社会は、まず目にする情報を自分で選別することから始まる。だからもし「アインシュタインよりディアナ・アグロン」の歌詞に深く絶望したなら、新聞の購読を止め、テレビのスイッチをそっと切ることを、お勧めしたい。

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