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「うちの会社」と言い続ける自己催眠から脱する時は今だ

「うちの会社は〜」
「うちの会社に〜」
「うちの会社で〜」

何気なくサラリーマンが使っている「うちの」会社。その何気ない一言にはちょっとした、無視できない意味が含まれている、と考えている。


あなたが新入社員なら「うちの会社」には、入社の喜びや戸惑いが含まれているだろう。

あなたがベテラン社員なら「うちの会社」には、自ら築いてきた実績に対する自信と若干の所有意識が含まれているだろう。


その会社がスタートアップ間もない企業なら、「うちの会社」には社会を変革する強い意思と溢れる情熱が含まれているだろう。

その会社が有名大手企業なら、「うちの会社」には大きな誇りと少しのおごりが含まれているだろう。

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さて、あなたが経営者であるならば、間違いなく「うちの会社」はあなたの会社だ。自由に発言し「うちの会社」を発展させればよい。

そしてもしあなたが一従業員であるならば、その会社のことを「うちの会社」と呼ぶことが適切なのかどうか、一度立ち止まってみることをお勧めしたい。


「うち(自分)」と「会社」の間にあるもの、つなげているモノはいったい何なのか。


一般的に雇用主は、従業員からの労務や知識の提供に対して見合った報酬を支払う。基本的には会社とはそれだけの関係だ。

しかし現実には、組織に所属することにはそれ以上の意味が含まれている。「一個人の○○さん」から「☆☆会社の○○さん」に自他ともにラベリングする。それは居場所になったり、ときに社会的信用と見なされたりする。


今まではそれで良かった。


それが仕事依存、多少のやりがい依存になろうともそれに報いる人事や報酬により幸せなバランスが取れていたし、定年退職した後もOB・OG会やら○○年組同窓会やらネットワークがあり、そして死ぬまでずっと「うちの会社」であり続けてくれた。

しかし時間が流れ、雇用関係や働くことへの意味付けは変化している。フリーアドレス制、在宅勤務、ノマドワークなど多様な働き方が叫ばれ、実現している。それらの本当の意味は仕事の効率化などではなく、「うち(自分)」と「会社」の距離を、物理的にだけでなく精神的に取ることにあるのだと、私は考えている。

これから大切なのは、「うち=自分」が何を出来るのか、客観的な能力とそれを他者に説明できることにある。所属の如何に関わらず発揮できる具体的なスキル。それを形作り、伝えるセルフブランディングの力。「会社」には自分の持つ能力の一部を提供しその対価を得るという、原点の関係に戻りつつある。それは既に所属とは異なる対等の関係性だ。

同時にその客観的にも証明された能力は他の組織や、あるいは地域やコミュニティにも並行して提供できる独立したスキルへと成熟させていくことができる。自分の居場所や役割が一つの会社に留まらずハイブリッド化していく、そういう社会が既に到来している。一ヶ所への盲目的な所属意識は薄くなり、すると必然的に「うちの会社」という表現は適さなくなる。


アイデンティティの自立、とか小難しいことを声高に言うつもりはない。ただ、常套句のように「うちの会社」と言い続けることはある種の自己催眠に陥り、いま述べたような社会の劇的な変化に鈍感になっていく。だから少し立ち止まってみたらどうかな、という提案だ。

かくいう私自身も、かつては「うちの会社」を多用していたし、ある時に妻から指摘されるまでその違和感の存在にすら気づかなかった。消化するのに3年ほどかかったが遅すぎることはない、と今実感している。


新社会人となった皆さんへ。組織に適応することだけに賢明にならず、こんな事を頭の片隅に置いて欲しい。会社人生よりも人生は遥かに、長いのだ。


*2017.4.13 改題・改編



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