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死んだ魚の目をしているのは満員電車だからでも、サラリーマンだからでもない、という話

最近、朝の通勤電車に乗っているサラリーマンはどうやら「死んだ魚の目をしている」ということになってるらしい。

これは就職前の大学生からの、素直な意見。そういう人たちになりたくないと否定しながらも、近い将来の自分を見るようで不安なのだろう。

社会人諸先輩からの反論も多数あるようだが「死んだ魚の目」であることは認めている感じ。こちらは仕事スイッチオンする前だから電車内はオフモードなんだよ、という説明。なんとなくわかる気もする。

さて、僕はあえて異なる視点を提示したい。結論から言うと「死んだ魚の目」をしているサラリーマン本人も、それを嫌だという大学生も、それに反論する大人も、その多くは「キャリア形成と職業との関係」を大きく誤解しているということだ。

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わかりやすく言うと、自分がどんな職業に就くか、あるいはどの企業や組織に属するかどうかは自分自身の本質的なキャリアの中心ではなく、単なる「居場所や役割のひとつ」に過ぎない。

キャリアの軸を作る順序というのは、まず自分がどうありたいかというビジョンを持ち、それを実現するための知識・スキルを整理し自己の努力で習得し、それを発揮しながら伸ばすために適した場を見つける、という流れが本来あるべき姿。

職業や役割が自分を成長させてくれる、というのはある面では甘えであり、誤解。効果の一部ではあるが、それが全部じゃない。まずは個として揺らぐことのない自分の価値を、自分自身で磨くプロセスが大切だ。

さらに加えて言うならば、仕事に過度の「やりがい」を求めるのも必然ではない。基本的には食べていけるだけのものを稼げれば、それで十分だ。"ライスワーク"に"ライフワーク"を重ねるかどうかは本人の自由であって、皆がそうしなきゃいけないわけではない。

「たった一つの役割」に自分の全てを背負い込んでそれが自分のアイデンティティとなったら、そりゃ死んだ魚の目にもなりますよ。自己実現のため、会社のため、家族の生活のために毎日毎日電車に乗り、体調が悪かろうが上司が嫌な奴だろうが、後輩に出世を先んじられようが、慣れない積雪で電車が2時間遅れようが職場に向かう、それが自分のやるべきことだ、と催眠術にかかったように日々を過ごしている人々のなんと多いことか。

ちょっと一回立ち止まって、ゆっくりお茶でも飲んで、落ち着こう。僕たちの役割は何なのか。社会規範や学校教育や親の視線や、それらを通じて幼い頃から刷り込まれ、思い込まされている「幻の大人像」の存在に気づくことができたとき、縛られることの無い本当の自分の生き方を見つけられるだろう。

僕は「死んだ魚の目」というとても語感の悪いコトバを世の中から消し去りたいと考えている。それにはただ一つ、主体性を磨くことだ。とてもシンプルなことだけど、難しい。目先の損得や他人との比較、形だけの満足感、"普通"であることへの固執、周囲からの評価、そういう意味のないことを「意味がない」と切り離し実際に行動すること、それが主体性。

それができたら、もうその目は進むべき道を見定めた、活きた目になっているだろう。それがたとえ職場に向かう満員電車の中にいるサラリーマンであったとしても。いつも、日々を変えることができるのはただ一人、僕たち自身だ。