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地方に移住すれば何かが解決する、という誤解

最近、田舎に移住してwebで年商2,000万だとか、そこで有料記事を書き一ヶ月足らずで60万売り上げたとか、そういう話が目に入ってくることがある。これはそれぞれの価値観の話であるし、人の価値観は他人により否定される類のものではないので、あくまで私自身がこうありたいと思うことを記してみることにする。

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本来、収入の額を誇ったり他人と比較する行動というのは自分自身の本質的な充足感とは対極にあるもので、そこに神経をすり減らし消耗しても何も得られない。対照的に経済的な尺度ではない自然から得られる価値にスポットライトが当たり、いま自然に寄り添うライフスタイルが注目されているわけだ。

現状の課題として、都市特に東京に一極集中した人口の偏りが社会を不安定にしている側面はあるので、それを分散化させる方向での政策には一理あるし、自然災害への適応という意味も含めてその方向に動いていくことは良いと思う。しかしながら直ぐに大人数の地方移転が現実化するものではないので、「都市か地方か」の議論の押し合いをただ重ねても問題解決は一向に進まないと考えている。何よりも私たちのごく日常の生活、消費行動やその源にある価値観の見直し・転換という面からアプローチしていくことが大切だ。

周囲を見渡すと既に様々な課題が私たちを取り巻いているのに、表層的な幸福感や利便性で感覚を惑わされていると感じる。

amazonで何でも買えて、当日配送すらしてくれる

・100円ショップには、普通に考えて採算の取れないモノがあふれている

・どんな食材なのか、300円を下回る弁当が売られている

・真夜中にもコンビニが空いている

昔から悪貨は良貨を駆逐すると言うが、安さ早さの提供合戦、チキンレースの先には恐らく持続可能な社会の実現は無いだろう。モノを得るには相応の対価をきちんと支払うことで生産・流通が健全に成り立ち、ひいては消費者も安定した恵みを享受できる。

田舎に住むことの良い点の一つは、こういった表層的な幸福感、過度な安さや便利さの追求を切り離しリセットできることにあるように思う。自分自身、農村の外れに生まれ育ち小学校は1クラス、閉鎖社会とも言える地域に高校卒業するまでの18年間身を置いた。コンビニが出来たのは18で実家を離れた数年後だったし、最も近いマクドナルドまでは車で30分ほどかかった。野菜は自宅前の畑の脇に設置された無人販売に並んでいるキュウリや白菜で足りていたし、そもそも貰った小遣いを使う店やサービスが小さな一軒の駄菓子屋以外に存在していなかった。

しかしそれが良いことだ、とは住んでいる当時は全く感じることはなかった。田舎いいねぇ、というのは都会暮らしを知っているから言えるのであって、田舎に居続けていたらそんなことは微塵も感じられない。都会での情報へのアクセスの便利さと窮屈さを知って初めて、それが無いことの心地よさを知ることになるのだ。

何が言いたいかと言うと、もしあなたが幸いにして地方に移住し満たされた生活を実現したとして、そのことを声高らかに他人に誇ったり押し付けたりする話ではないということだ。せっかく地方に移住したならば都会にいた時と同じような貨幣価値を追うことをやめ、経済的な尺度では計れない自然の価値を受け入れるのが良い。そして間違っても他人と比べてどうの、なんてつまらない満足感で自分を満たさないこと。自分が自然に囲まれ満たされた姿を見て「いいなぁ」と感じる人が出てきて、少しずつ良い影響が周囲に広がっていくことが、幸せな解決への道のりではないだろうか。

そして様々な事情で都市に居続ける私たちは、田舎に移住しなくたってやれること、変えられることは山のようにある。消費の仕方や働き方も、自分次第でどうにでも持続可能に変えられる。横並びから少し外れるとあれこれ言われるからやらないのではなく、率先してレールから外れてみる。皆が「普通」と思い込んできたコアの中身は実は空っぽで、それぞれがそれぞれに異なる理想の生き方、働き方があるはずだ。それを求めていく先にこそ、今の世の中の様々な問題を解決するヒントがあるものと私は考えている。




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