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「やっぱりやめます」をもっと気軽に言える方がよい

「やっぱりやめます」は、言い出しづらい。例えば最近ずっと世間を賑わせている国立競技場の建て替え問題。それぞれに言い分はあるのだろうけれど、結局「やっぱり、このデザインやめます」って言い出しづらいということなのではないだろうか。文科省や政権側が批判の矢面に立たされると「そもそもオリンピックの開催を決めたのは前の政権の時だ」と言いだしたり、500億円の資金負担を求められている舛添東京都知事も開催には前向きとはとても見えない。結局、東京オリンピック招致に関わったメンバーと現在意思決定をするメンバーが異なるので「やっぱり東京オリンピックやめます」って言いたいのが本心なのだろうと思う。

 「やっぱりやめます」を気軽に言うことが許されないのは、社会全体の雰囲気がそうさせていると感じる。「やめます」はネガティブなイメージ、後ろ向きな印象を与えてしまう、だからそう言えない、言わない方が良いという社会常識。でも論理的に紐解くと、決してそうではないこともたくさんあるはず。東京オリンピックにしても、本当に日本にとって必要な機会なのかどうかは十分に議論の余地はあり、今から本気で「オリンピックを開催すべきか否か」の話し合いをすることはこれから人口減少や経済規模縮小の道を確実にたどり、少子高齢化に伴う諸課題を抱えるこの国にとっては建設的ですらあるはずだ。

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それぞれの職場においても「やっぱりやめます」はなかなか言えない。山積したどの仕事も途中で放り出すわけにはいかない、とほとんどの人が強く思い込んでいる。だから責任を感じてそれぞれが納得いくまで、あるいは上司のGOサインが出るまで仕事の完成を求め時間外労働を重ね、「家庭や個人の時間」との二者択一はいつも仕事側の勝利になってしまう。でも大きな視点から仕事の一つ一つの集合体を俯瞰で眺めてみると、8割方は報告のための報告のような形式的なものだったり無駄なものだったり、誰も「やめよう」と言い出すことなく生き残ってきた仕事の数々ではないだろうか。「この仕事、昨年まで20年やってきたようだけど、やっぱり不要だからやめましょう」と誰かが勇気を持って提案したならば、反対意見のある一方で「そうだよね、それ要らないよね。実は自分も前から思っていたんだ」という人も現れることだろう。

組織で働いている人は、ほとんど例外なく誰かの後任としてその役割に就いていて、いずれ誰かに仕事を引き継ぐ。年数が経つほどに仕事の種類は蓄積していき、どんどん仕事の総量は増えていく。先輩から引き継いだ仕事を無くすのには抵抗があるし、自分が起案した仕事には思い入れがある。それを惰性と言うのは失礼かもしれないが、労働時間に限りのある中では何かを止めないことには、新たな価値ある何かを生み出すことは決してできない。したがって「やっぱりやめます」は前向きな、新たな一歩のために必要な判断なのだと私は考えている。

世の中の空気全体が「やっぱりやめます」に寛容であって欲しいと願う。「一回決めたけど、やっぱりやめます」と勇気をもって発言した人に、そもそもなぜそんな判断をしたのだとか、これまでの時間と費用のムダはどうするんだとか、社会常識という名の圧力で押さえつけることは事態を一向に改善させない。一回決めたけど、おかしいなと思ったら途中で引き返せば良いじゃないですか。そもそも誰しも、判断は誤るもの。誤っていると気づいた時点で迅速に修正することの方が、ただ来た道をゴリ押しするよりも幸せな結果にたどり着けることもある。部分最適ではなく全体最適をしっかり見極めるならば、「やっぱりやめます」はごく自然なそして正しい判断となりうるものなのだ。

「やっぱりやめます」をもっと気軽に言える社会は、私たちにとってお互いに生きやすい社会になると思う。「やっぱりやめます」を言える会社は働きやすいだろうし、家庭もしかり。だから、一度決めたことを途中でやめることは良くないこと、という偏った固定観念をまず私たち自身の頭の中から消し去ってみることから始めてみよう、というのが私なりの提案です。



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