"一つの名刺に全てを込めるサラリーマン"のリスク
昨夜のこの記事が図星すぎたので紹介します。
要約すると、
・退職後に名刺の存在が無くなり、虚しさを感じる人がいる
・唯一のアイデンティティを名刺に埋め込んできたことに気付く
・個人の名刺を持ち、もう一人の自分を持つことに早くから取り組むと良い
といったところです。
おそらく団塊の世代からバブル世代あたりまでは、個人差はあれ同様の働き方をし定年退職を迎え、同様の感覚を抱く人が多いでしょう。
しかし、我々ロスジェネ世代や現在のゆとり世代に至る若手世代のみなさんは「そんなアホな」と仰け反ってこの記事を読んでいることと、期待しています。
少し前に社会起業家のフローレンス代表・駒崎さんも近いことを書いていました。
記事中では、家事メン育メンと騒いでもそれがごく一部でとどまっている本当の理由は「(男性が)勤めを頑張る先に幸せや自己実現がある」という旧来的価値観に縛られているから、という主旨の指摘があります。
いずれも共通している問題点は、サラリーマン(主に男性)が、勤めの仕事に過度に人生のキャリア形成を依存し、収入ばかりか"やり甲斐"もそこに一点集中していることで、それが無くなった際の反動があまりにも大きいことです。
また言うまでもなく、転職を繰り返したとしてもそれは勤めの仕事へのキャリア依存という本質に変わりはなく、むしろ転職を繰り返すことで主体的なキャリアを重ねているという誤った認識に自分を落ち着けようとする傾向が高まります。
(*主に男性は、としているのは女性の方がライフイベントによりキャリアの見直しをする機会に恵まれ、これらの問題を考えることで解決の道筋を見出しやすいからですが、全員が例外という訳ではありません。)
このブログでは何度もキャリアの伏線化=パラレルキャリア の効用についてご紹介してきましたが、もはや「やった方が良い」から「やらないとまずい」レベルに移行しつつあるのかもしれません。
さて私からのささやかな提案として、何でも良いのでまず「個人の名刺」を実際に作ってみることをお勧めします。webサービスでごく簡単に100枚あたり1,000円くらいで作れるので、迷うことはありません。
パラレルキャリアの本来はまず何に課題意識を持ち、どの保有スキルを活かして、社会の課題に接しながら自己実現を果たしていくかという計画性が大切なのですが、「個人の名刺を持つ」という形から始めることも決して間違いではないと思います。
私自身も長らく「一枚の名刺」の生活を過ごしていましたので大上段からエラそうに言える立場ではありませんが、個人の名刺を持ってみるとその必要性が後から生まれてきて、肩書きに実績が追いついてくることを実感しています。
肩書きはフットサルサークルに入っていればそのメンバーとしてでも良いし、好きなことで自分を位置づけられるものなら何でもOKです。まずは一枚の名刺に依存しない練習から始めてみましょう。