skillnoteのブログ

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負け組なんていない



多くの都会人は強迫観念に囚われている

今の現金収入の額と社会的地位が保てないと暮らしていけない、"負け組"になるという強迫観念に

いやいや本当にそうだろうか

人口が減る社会には、それに見合う暮らし方がある

社会全体が身の丈暮らしを受け入れるかどうか、そういう過渡期

だから、里山に身を置く生き方、価値観も考えてみようよと

森の木々、清流、豊かな実り、土の匂い、広い空、時間、土地の人々とのつながりの暖かさ

両足でなくても、片足だけでもいい、里山に少し関わってみよう

何かが変わるから、良い方に


と、藻谷浩介さんは言っていたように、僕には聞こえた。(「里山資本主義」著者講演を聞いて)


そうなのだ、私たちはレールから降りることに戸惑う。負け組にはなりたくない、と思うから。

でも、何が"負け組"なのだろうか。そもそも何と競っているのだろうか。

長年、親や学校や社会、会社から刷り込まれた"妄想"が、レールのように見えているだけではないのか。

人生は自分のもの。だから、どのように生きるかは、自分が求めることに正直でありたい。

半年ぶりに、東京から奈良に移住した知人に会った。彼はその大きな変化にまだ少し戸惑っているようだったけど、自分の価値観に正直に行動していることに迷いは無く、真っ直ぐ前を向いていた。そういう人が報われる社会でありたいと、心から願う。

僕自身は"里山暮らし"へすぐにはシフトはしない。その代わりと言ってはなんだけど、小さな農園を借り、家族で野菜を作り始めた。手で作ったものを、ほんの少し口にする喜びを、子供たちと分かち合う瞬間が出来た。

サラリーマンとしての勤めは、当分続けるだろう。ただ、出世競争というレールからは降りることにした。そのレールは、僕にはあまり価値のないものに思えたから。代わりに、勤めそのものから得られる経験や出会いに集中できている。それ以前に比べて勤めそのものを純粋に楽しめているし、適正な労働時間で日々を過ごせると、自然と心にゆとりが生まれてくる。

パラレルキャリアとしてのプレゼンセミナー講師の仕事は一生続けるだろう。「人前で話すことが苦手な人が多い」ことは社会の課題であり、それを一歩ずつ解決していくことが自分のライフワークだと考えている。

そして家族との時間を何よりも大切にしたいと思っている。地域の一員として、できるだけ地域の人たちに関わって行きたいとも考えている。学校、お祭り、NPOのイベント、などなど。人は人とつながるから存在を認められて、安心して生きていける。

過度に経済的な豊かさを求めることをせず、時間を大切に使うこと。消費することで満たされるのではなく、人とつながることで喜びを感じること。レールから降りて、新しいレールを自分で作っていくこと。"強迫観念"から解き放たれると、やりたいことが見えてくる。そうやってそれぞれが自分なりの理解で"里山資本主義"を実践していけば少しずつ良い社会、負け組なんていない社会に近づいていくのではないかな。


(Photo:初秋に訪れた八ヶ岳山麓より)

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