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複業の仕事はどこで獲得する? 顧客獲得に使えるwebアプリと顧客導線の考え方

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スキルノートの芦沢です。事業化を目指して複業を始める際の課題は大きく2つあると考えています。1つ目は専門領域を持ちその分野の専門家として認知されること、2つ目は具体的に顧客を得る仕組みを得ること、です。1と2は繋がっているようで実は別の要素である点がポイントです。 


つまり、ひたすらに自身のスキルを磨いたところで自動的に顧客から問い合わせがくるわけではありません。逆に、2を整えると1が多少未熟でも顧客はつきます。不思議ですよね、でもそれが現実です。 


整理すると、顧客導線をどのように確保するか、何種類のパターンを持つか、という課題になります。一つの近道は、既存のマッチングサービスを利用すること。まずは世の中に自分の専門スキルを欲する人がいるのかいないのか、その価格は幾らくらいなのか、相場観を知ることができます。
 
私自身、創業時から手当たり次第にwebアプリの仕事マッチングサービスに登録してみました。その結果、私の専門領域においてわかったこととしてはおおよそ次の通りです。
 
クラウドワークス系のC to Bサービスは一つ一つの仕事ボリュームが小さく、また供給過多で単価が低い。例えばライティング系は恐ろしく単価が安く、記事数を得たい発注側と安くても実績を得たい受注側のバランスで成り立っている。


・タイムチケットなどのC to Cサービスは、事業というより趣味や習い事の延長領域が多い。成功パターンはあるはあるようだが、今ひとつ事業としての顧客ニーズが見えない。


・メルカリが一時参入したC to Cのスキルシェアサービスは4ヶ月でクローズ、ビジネスベースに乗らなかった。メルカリ本体はご存知の通りで「せどり」には最適だが、それは「副業=小遣い稼ぎ」の世界なので当方としてはお勧めしていない。しかし、副業的な顧客獲得の知恵は常に視野に入れておく必要がある。


・minneは女性のハンドメイド物販などC to C販売の老舗で相変わらず好調。単価は安くても手間を効率化して数が捌ければ十分に成り立つ。講師業などのスキルシェアには向いていない。
 
 
さてテレビの報道番組で複業・パラレルキャリアの特集が多かった時期に「誰でも得意を活かした講師業をワンコインレッスンで実現」という切り口がよく紹介されました。しかし単価500円の顧客を何人集めたところで事業という規模には程遠いのが現実。なので結局ワンコインのスキルシェアサービスは淘汰されつつある、ということになりますが、ここは予想通り。
 
そして、数少なく使い勝手の良いサービスとして、ビザスク(visasq)があります。こちらはC to Bが基本で、たまにC to Cの依頼もあります。「スポットコンサル」専門なので、それぞれが持っている専門領域についての相談やヒアリング・事業支援など、期待されている役割をあらかじめ絞り込んでいる点が複業による起業と相性が良いように思います。
 
おおよそ1〜2時間程度の拘束で、平均受注単価は15,000円とwebサイトに記載があり、実感値も同様です。なお仲介手数料が3割なので手取りは10,500円になります。
https://service.visasq.com/
 
この単価そのものは十分に高いとは言えないものの、最低限のラインは維持できており拘束時間の短さと合わせれば受注側としても合理的です。これが取引のきっかけとなり、周辺領域や顧客紹介で事業の広がりが期待できます。広告記事では決してないのですが、もし複業の顧客導線をゼロから作る際に便利なwebサービスは? と聞かれたら迷わずビザスクをお勧めしています。
 
大切なのは冒頭に書いたように「顧客導線をどのように確保するか、何種類のパターンを持つか」ということですので、一つの支援サービスにおんぶに抱っこは事業の安定化には向いていません。
 
その意味で資格・のれん取得からのライセンスビジネスの判断が難しいところはこの点で、立ち上げ期から顧客はコンスタントに得られるものの他の仕事を獲得する導線作りに手が回らず、ほぼそのライセンスの専門講師となり、結局「鵜飼の鵜」のように手数料を納め続けることになります。本来目指していたオリジナルな自身の事業領域を深めたり、その顧客層が広がるチャンスを逃してしまいます。
 
一番強いのは自分で編み出したオリジナルコンテンツの精度を高め、その意味や魅力を丁寧に想定顧客層に伝えるコミュニケーションを大切にすること。具体的にはブログやSNSなどをオウンドメディアとして活用し、どんな理念に基づきそのサービスを手がけ生み出したのか、というストーリーを自分の言葉で語り続けることにあります。
 
そうするとある日、検索や通りすがりに出会ったアンテナの立っている顧客と波長が合う瞬間があり、即決で仕事につながります。「あなたのブログを全部読んで、オファーしました」というスタートラインは何にも変えがたい強い信頼関係にあり、「提供サービスの質とその対価」が適切なものとなります。
 
そうして出会った顧客と契約し、期待に答えるサービスレベルを提供できるかどうか、顧客満足度を最大限に高めることが次の課題として引き継がれますが、その話はまた別の機会に。

 

 

◆追加情報

先日、研修講師と依頼企業をつなげるC to Bのマッチングサービスを開発されている「講師に直通 研修依頼プラットフォーム【Oncy】 (オンシー)  」ご担当者とお話する機会がありました。これまでの課題を解決する形で制度設計されており、その理念にも共感したので登録してみました。適切に機能するかどうか、実験としてしばらく取り組んでいく予定です。

 

参考:スキルノートの企業向け研修メニューはこちら

https://oncy.jp/profiles/1604

 

20年経ってようやくお酒を飲めない体質に気がついた、という話

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1.飲めない体質への気づき

昨年の秋にふと思い立って、それまで約20年の間、弱いながらに嗜んでいたお酒を止めることに決めた。直接のきっかけは昨夏から始まったアレルギー体質がお酒との相性が今ひとつだったからなのだが、全く飲んではダメというほどではない軽度なものなので、それはあくまできっかけの一つに過ぎない。

 

以前からずっと不思議だったことは、なぜ皆んなは飲み会で結構たくさん飲んだ後の帰り道、陽気に話しながら歩けるのだろうということ。僕は飲んでいる最中は気分晴れやかなのだけど、その後すぐに体全体に気だるさが蔓延して疲労感が蓄積していき、自宅に帰ると何もできずに倒れ込むのがいつものこと。大抵は翌朝ひどい頭痛で目を覚まし、体調次第ではさらに翌日まで二日酔いを引きずることさえあった。ほんの、生ビール2杯と焼酎水割り1〜2杯である。冷酒に口をつけようものなら、その比ではない。

 

ずっと長い間「お酒を飲むということは、こういうことなのだ」と勝手に思い込んでいたのだけど、どうもよくよく周囲に話してみるとそうではないことにようやく気付いた。もしかして、自分はアルコールを受け付けない体質なのでは? 44才にしてようやく「飲めない派」であることを自覚したのだ。時間かかり過ぎでしょ。

 

社会人になって通常のお付き合い、コミュニケーションとして「飲み会」の場は相手を知り打ち解けることができる機会として、それなりに有意義だと思う(義務的な飲み会は除く)。これまでは参加していながら「飲まない」ことが場を白けさせてしまうのではないか、相手に失礼になるのではないか、と思い無理をして飲み続けてきたというのが無意識下の行動だったように今振り返れば思う。

 

2.飲まなくても全然問題なかった

それで、昨年の年末年始あたりからあらゆる場でお酒を飲まないようにした。元々飲めないところを無理やり飲んでいただけなので、体がアルコールを欲することや、禁断症状のような辛さは皆無だった。遡ること12年ほど前、それまで10年間吸っていたタバコをやめた時はそれなりに「また吸いたいなぁ」という思いが湧き上がる瞬間は何度かあったので、ということはお酒にはまったく依存していなかったということになる。

 

数ヶ月するとさらに変化があり、毎日朝起きた時の気分や体調が明らかに以前よりも良くなってきた。徐々に時間をかけて、体中からアルコールの残骸みたいな何かが抜けていく、そんな実感が日々あった。体が少しずつ軽くなっていき、気持ちも晴れやかな感じ。今までどれだけ無理してお酒でリラックスを得ているつもりだったのか、本当に不思議でならない。思い込みというのは恐ろしいものだ。

 

話したい相手との飲み会には参加するので、そのたびに「お酒やめたんですよー」という前置きに、それぞれの反応をいただくのだがそれも最初の一言だけで、宴が始まってしまえば相手のグラスの中身が何なのか、それがお酒なのかノンアルなのか、人はさほど気にもしていない、ということもわかった。昨今の、お酒の強要はやめようという社会全体の同意も後押ししてくれて、お酒を飲まなくても場を白けさせることはないのだと知った。

 

3.良かったこと、発見したこと

ノンアルコール派の人が世の中でも増えているのか、最近のお店では案外豊富なノンアルメニューを用意していることもある。手の込んだこだわり材料のカクテル風があったり、「全ての飲み物はノンアル対応できます」と書いてあったり。僕が一番好きなのはただの「炭酸水」。これはお酒をやめる前からビールがわりに「晩酌」しているものなので一番しっくり来る。最近は炭酸水がメニューにある店も増えてきた印象。ちなみに、トニックウォーターは甘みが加えられた炭酸水なので、好みによるかなと思います。

 

一番の発見、良かったことは「飲まなくても飲み会は楽しい、むしろ以前よりも」ということ。酔わずに頭がクリアな状態を保って会話に参加できるので、話す内容が伝わりやすくなったり、相手の言いたいことを理解したり場の雰囲気を察して話題を選んだりすることが前よりも容易になった印象。元々、お酒の力を借りなくてもコミュニケーションは好む性格でもあり、酔っ払い相手についていけないなぁ、などの戸惑いは一切ない。これは、お酒をやめてみて発見したこと。元々シラフで盛り上がれる派だったのかという、新たな気づき。

 

4.これから

というわけで、まさか20年も自分の体質を把握できてなかったとは、我ながら面白い体験だった。またこれからも、思いがけない発見が思いがけないところに現れる、そんな時間を過ごしていければ、人生はずっと楽しいのかもしれない。おしまい。

まちなかの農地を守る、とある魅力的なプロジェクトの話

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スキルノートの芦沢です。我が家では趣味として近所で小さな畑を一つ、遠くに大きな畑を一つ、家族で耕しています。最近小さな畑の方が地主さんの意向で宅地化することになり、仲介いただいている貸し農園会社に紹介された別の新たな畑を一区画借りて、少しずつ農作物の引越しをしています。まったくの初心者から5年間もお世話になった農地にはとても後ろ髪引かれる想いがあります。農作物はそれ以外に遠くの畑に移すもの、仕方なく廃棄するものと幾つかに分けて、先週末にようやく完了しました。 

 
宅地化された農地には大きなマンションが建ち一階にはスーパーマーケットの店舗が入るようです。振り返ると近所に残されていた農地がこの一年ほどで次々と宅地化され、建売り住宅やマンションに変わっています。何かあるのかな? と思っていたら、1991年に施行された生産緑地法における「市街化区域内の生産緑地」の有効期限が30年間のため、2022年までには一定農地が宅地化される動きがあるようです。(低い税率の農地から高い税率の宅地になってしまうので、所有しているより早く売却したいという所有者のご判断です。)
 
また、急激な宅地化で不動産市場の混乱を避けるため「特定生産緑地」の申請をして自治体から承認されれば10年間はまた農地として低い税率のまま使えるようですが、全てがそうなるわけでもなさそうです。少なくなった都市の畑がまた一つ、また一つと減っていくのだとしたら、素人ながら農業を愛する一人としては切ない気持ちになります。
 
*参考記事:ニッセイ基礎研究所/どうなる生産緑地の2022年問題。東京ドーム約2,800コ分の農地が消滅する? 
https://www.nissay.co.jp/enjoy/keizai/92.html
 
さて、私たちにできることは何かあるだろうか。昨日参加した街の農地を守ろう、というシンポジウムで事例紹介がされていた「まちなか農家プロジェクト」という三鷹市の取り組みがヒントになりそうでしたので紹介します。
 
「まちなか農家プロジェクト」では数少なく地元で農業を営む若手世代の農家さん達と組んで、それを支援しようという何名かのコアメンバーと共に多様なイベントを企画したり、農家の声を直に聞いてインタビュー記事をweb配信したりしています。
 
まちなか農家プロジェクト http://machino.tokyo/ 

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 こちらでは「農地を守りましょう」「地元で野菜を買いましょう」という掛け声ではなく、気づいたらそうなっているという具体的で魅力的な企画・イベントを次々と繰り出しています。地元の大学生とコラボして新しいブルーベリーの飲み物を開発して街のカフェの定番メニューにしたり、農地の防災効果を知るため寒い時期に農地のビニールハウスで擬似的な避難体験や農作物を使った炊き出しをしたり、聞くだけで参加してみたい取り組みばかりです。月々1,300円を支払えば誰でも「会員」になることができ、特典として月に一度、新鮮な地場野菜の詰め合わせセット交換会に参加できたりと実によく考えられていて、それを楽しくみんなで盛り上げています。(会員のFacebookグループは会員それぞれの地元野菜情報や美味しいレシピの話など、いつも盛況です)
 
畑を守るためには畑を守っていても不十分、きっとそういうことなのだと思います。その農地が宅地化されることが土地の所有者にとっても農家にとっても周囲の住民にとっても行政にとっても合理的でなく、農地のままの方が地域の盛り上がりやつながりと地産野菜の売り上げやブランディングにとって明らかにプラスである、というムードづくりをいかに現実化していくか。それこそが結果的に都市農地を長く維持するモチベーションにつながると思うのです。「まちなか農家プロジェクト」の取り組みとそれに対する市民の皆さんの反応を聞き、そのように感じました。


さて、冒頭の写真は引越し先の小さな畑にある葡萄棚です。見事に多くの房がついていて美しい光景です。しかしこちらの農業もまた市街化区域内の生産緑地のため、いつまで続けられるかはまったくわかりません。何ができるのか、していくべきなのか、自身にも問い続けながら小さな趣味としての畑作業を続けていこうと思います。

なんで自分にばかり不幸は訪れるのかという想いと、その反面豊かな気付きに出会えることへの感謝

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スキルノートの芦沢です。気づくと7月も終わり、夏真っ盛りです。6〜7月は公私に多忙すぎるあまり、日々生きている実感があるような無いような、振り返るとやや健康を損なう日々でした。暑さも尋常じゃなかったですしね。

 

特にこの1ヶ月は自分や家族にふと「よくないこと」か重なる時期となり、メンタル的にはなかなかきつい毎日でした。何が、という具体的なことはブログでは伝えられないのですが、どうにも自分自身の力では乗り越えられないと感じること、今週リカバリーして来週からは立て直そうという短期的で出口の見えるトンネルではなく、長期戦必至の様相となっていて、対応力が試されているようにも感じます。

 

我が家は何かとハンデ戦を強いられてきたこれまでの流れがあるので、妻などは平然と開き直って「なるようにしかならないし、なるようになる」という大黒柱っぷりを発揮していて、改めて頼もしいなぁと感心する日々。やっぱりいざという時の母親は強い。見習って、自分自身も前向きエネルギーをいただいています。

 

人生は長いので、時には「なぜ自分にばかり不幸は訪れるのだろう?」と懐疑的になってしまうことがあります。しかしその時は同時に、普段の平穏な生活では気づくことのなかった世の中の事柄や、これまで知ってはいたけど他人事で自分には関係ないなぁと割り切っていたことが突如「自分ごと」になったりするので、半強制的に視野が広がったり、多様な価値観に対する理解が深まったり、客観的に見れば実に豊かな気付きに出会えるチャンスにもなることを実感しています。

 

昨今言われているように人生100年時代、かつ低成長で少子高齢社会の今は量的な充足感ではなく質的な幸福感が必要となってきました。順調な進学、就職、出世の先に何があるかわからない不透明な時代です。そもそも、多様に広がった個人それぞれの価値観に見合った、隣の芝生とは比べることのないオリジナルな生き方を求めていく先にこそ、それぞれの異なる幸せの形が見つかる、そんな世の中になりました。

 

だから、これまでの世の中では失敗とか病気とかハンデキャップとか見なされてきた事柄が、web周りの技術革新の急激な進化とも相まって、案外そうでもなくなってきている側面があるように思います。ハンデ戦の人生でも、できることはかなり広がってきているのです。

 

そしてどんな時も大切なことは「アウトプットすること」。日頃キャリア関連の講座の際にはお伝えしていますが、内向きな活動に気を取られてアウトプットに"二の足"を踏んでいると、有意義な時間を過ごすことは難しくなります。何事も相手や社会に発信をして初めて気持ちや意思が伝わり、周囲のサポートが得られたり、思いがけないラッキーが転がり込んできて自分の望む方向へと少しずつ状況は好転していきます。そうあらためて自分に言い聞かせながら、家族と一緒に上を向いて歩いて行こうと思います。

国家公務員の副業解禁に至るこれまでの流れを3分で解説します

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国家公務員、年内にも副業容認へ NPOなど公益性高い業種のみ - ライブドアニュース
http://news.livedoor.com/article/detail/14866917/

 
国家公務員の副業解禁に向けたニュースが昨日来話題となっていますが、今一度ここに至る流れと意味をおさらいしてみましょう。
 
・原則、日本国憲法には職業選択の自由があり、複数の職業を掛け持つことの自由、一つの勤務先がその自由を制限できないこともその中に含まれていると解釈されている。(裁判所判例あり)
 
・法令解釈は公務員でも民間企業でも同じだが、これまでは国家公務員法および地方公務員法の兼業禁止規定で公務員の副業は制限されてきた。(憲法解釈を上書きして制約)
 
経済産業省において2016年11月に「兼業・副業を通じた創業・新事業創出に関する研究会」が立ち上がり国としての副業のあり方の見直しが開始。多様な働き方としての副業の効果検証を実施し、調査結果報告および提言を2017年に行った。この時点で早期の国家公務員における副業解禁の可能性にも言及している(まずは公務員自らが副業を、という主旨)。
http://www.chusho.meti.go.jp/keiei/sogyo/2017/170531hukugyo.htm
 
・並行して地方自治体単位でも副業を認める条例や内規の改正が進んできた。(兵庫県神戸市、奈良県生駒市など)
 
・2018年1月に厚生労働省所管の「モデル就業規則」が改定され、副業が原則禁止から原則可能に180度転換した。
http://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000192188.html
 
・モデル就業規則の改定に前後して、民間企業においてもそれぞれの取組として副業解禁を進めており、ロート製薬ソフトバンク新生銀行など多業種に広がりつつある。
 
・これらの背景として2016年に発刊されたイギリスの研究者リンダグラットン氏による著書「LIFE SHIFT」の影響が大きい。長寿社会においては「終身雇用、一社専属」といったキャリア形成の価値観を転換する必要性が提示され、そのモデルとして「ポートフォリオ・ワーカー」という複数の職業を兼ね備えるスタイルが関心を集めた。
 
・LIFE SHIFTをテーマとした数多くのセミナー、講演会、勉強会が今現在も国内各地で開催され、ロールモデルによる実践事例が示されている。また他の類似書籍やweb記事が日々発信されており、多様な働き方のあり方としての副業が世の中共通のキーワードになりつつある。
 
・大きな変化として、これまでは小遣い稼ぎという主旨での「副業」としてのみ認知されてきたものが、人生設計を複線的に行い多様な働き方を認める価値観、それを実現する手段としての「複業」(=「パラレルキャリア」と同義)に注目が集まっていることにある。
 
・複業(=パラレルキャリア)は元々経済学者のP.ドラッカーにより提唱された考え方でその歴史は古く、現代の社会変化によりあらためて脚光を浴びている。国内のパラレルキャリア研究の第一人者である法政大学大学院教授 石山恒貴氏が2015年に発刊した著書「パラレルキャリアを始めよう」の中で紹介し、複業推奨のコンテキストとして認知されている。
https://www.amazon.co.jp/dp/B011KEO0NW/
 
・一方で実際に副業・複業を始めている労働者の割合はまだまだ少なく、また副業・複業による収入額は本業の収入に対して低い割合に留まっている現状がある。
https://www.huffingtonpost.jp/enjapan/fukugyo_a_23444915/
 
・そして今回、国家公務員の副業解禁方針が示された。←NOW!
 
 
ざっとこのような流れです、ご参考まで。

 

 


【関連イベント】
人生100年時代の棚卸し〜複業で見つける新しい自分 (7/7土 文京区)

https://www.facebook.com/events/207831483331250/

サラリーマンを日給制にすると働くモチベーションが高まるのでは? という考察

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スキルノートの芦沢です。5月病、という言葉の通りアンニュイな気持ちを引きずったまま、月末最終日になりました。原因不明なんですけど、5月はどうも気持ちが乗らない日々でした。何なのでしょうね、5月病。

 

さて、サラリーマンの複業起業を提唱している立場ではありますが、やっぱり片方だけ(複業起業)が充実すれば良い、という話でもないなぁと思っています。サラリーマンの仕事におけるモチベーションはコントロールがなかなか難しいのは事実。複業起業による仕事はそもそも好きで始めていることだし嫌な仕事は断る選択肢があるので、人間関係も含めてメンタル的には良好な状態が保ちやすいように感じています。

 

それに対してサラリーマンの仕事は短期的な変化が少ないとか、中間層の場合は指示命令に従うことと部下育成の板挟みで疲れ果てたり、なんでこの仕事してるんだっけ? と我にかえる瞬間は誰しもあるはず。生活のためとはいえ、365日高いモチベーションを保って勤務するというのは、よほど忠誠心の高い社員でない限り難しいですよね、実感として。

 

そこで、仮に「出社したら2万円貰える」みたいに日給制にしてみたらどうか? というのがモチベーション観点からの思いつきアイデアです。

 

・どんなに気持ちが乗らない日でも

・雨が強くて通勤が面倒な日でも

・前の日のお酒が残っていて辛い日でも

→今日行けば2万円貰える、行かなかったら貰えない。

 

としたら、自分の意思として「稼ぐために行くか、2万円欲しいし。」という割り切りというか、選択的で主体的な行動意識に変わるように思います。

 

逆に、

・気持ちが乗らないから行かない

・雨に濡れたくないから行かない

・二日酔いだから行かない

という選択もOKで、2万円要らないから行かない、今日は仕事しない! というこちらも選択的で主体的な行動意識で休むので、引け目を感じることも少ないはず。(周囲も、明らかに2万円の権利を放棄している同僚を責める気持ちは薄れる)

 

それでは職場が成り立たない、そんな理由で出社したり休んだりするのはけしからん! という声もきっとあるでしょうが、あまり気にならない要素だと考えます。なぜならサラリーマンの労働意欲の根源は、「生活費のために労務を提供しその成果への対価を得ること」に他ならないからです。

 

やりがいとか出世とか達成感、あるいは社会への影響や他にもさまざまなモチベーション要因はあるのですが、それらは複業起業をしている方々にとっては複業側で十二分に満たされているので、ことサラリーマンとしての仕事には必要ありません。(俯瞰的には、会社は組織の仕組みを効果的に維持する上でこれらの要素を取り込んで活用しているに過ぎないのです。)

 

そもそも、サラリーマンの仕事でモチベーションを維持し辛い要因は、労務と対価の関係性が不明瞭なことにある、と私は考えています。何となく出社して、何となく役割をこなし、何となく会議や調整や資料づくりをして、何となく外回りをして、それを何日か繰り返すと毎月決まった日にまとまった額の給与が銀行口座に振り込まれている。いったいどの部分の仕事が幾らの報酬なのかまったくわかりません。 

 

それに対して複業起業の仕事は業務要件と、それに対する報酬が明確です。Aの仕事を引き受けていつまでになにをしたら、幾ら貰える。そして、感謝される。労務と対価の関係が明確ですので、その仕事をやるモチベーションがはっきりしています。

 

戻ってサラリーマンの働き方ですが、業務単位に価格を設定しても面白いのでは、とも思います。

 

・この会議で一回発言したら200円

・提案書を一つ書いたら1,000円

・難しい役割を自分から担ったら3,000円

 

のように、一つ一つの業務に価格をつけ、取り組んだ人が日給にオプションとして加算される。そしたらやりたい人が仕事を取り合うので、嫌々押し付けられることは減るはず。難易度が高く不人気な仕事は、価格を上げれば良い。すると需給関係で手を挙げる人が出てくる、という枠組み。

 

日給制の支払い方法はできるだけリアルな方がモチベーションに直結するので現金支給でもいいですが、流石に毎日お札が飛び交うのはセキュリティーやら何やら大変でしょうから、例えば退社時に会社のゲートをくぐると電子マネーの残高がピッと2万1,500円増えて、ああ今日はこれだけ働いたな、稼げたなと小さな満足感を得られるわけです。

 

と、そんなアイデアを思いついて帰りの通勤電車で書き留めた5月最終日でした。明日から6月、気分一新して日々を楽しみたいと思います、おしまい。

 

 

何かを始めるのに、資格は要らない

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スキルノートの芦沢です。今年の桜はあっという間でしたね。これから楽しめる東北地方の皆さんが少し羨ましいです。写真は我が家の畑のジャガイモです、早くも芽を出してきました。

 

さて今日は、起業や複業のご支援をする機会を何度かいただいている中で気づいたことについて書きます。何かを始めようとする皆さんからよく聞かれるのは「何か資格を取った方が良いですか?」ということ。

 

世の中には「士業」と呼ばれる、公的な資格を得ることでのみ扱える仕事があります。弁護士、司法書士、税理士、行政書士、他にも医療・介護関連や食品取扱者などそれぞれの分野で様々な資格があります。

 

「その資格を取らなければ業務ができない」ものを手掛けたいのなら迷いなく資格試験の勉強に着手し、少しでも早く合格する事でその後の事業化に活用できます。しかしそうでないのであれば、資格を取得することが必ずしも起業や複業において必須ではなく、単に資格取得という事実だけでは何の価値も生まないということをお伝えしたいと思います。

 

つまり、資格取得にかける時間やコストと、取得したことにより得られる信頼性・客観評価や新たな能力がどの程度のバランスにあると見積もっていて、資格取得により将来的な提供価値や売り上げに対する量的インパクトがどの程度見込めるのか、仮の試算で良いので掴んでみる必要があります。

 

その上で様々なケースを見て経験則として感じていることは「資格の必要な業界というのは既にレッドオーシャン」だということです。いち早くその資格を取り二歩も三歩も先を歩いている先輩方を追い抜くのは至難の技で、また後からも次から次へと新たな資格者が増えていくのに、市場はそれほど拡大していかないという現実が資格の必要な業界にはあるのです。

 

資格ビジネスという立場に立つならば、「取りたい」と多くの人々が考える資格の枠組みを考えることは戦略的であり、事業化の観点では「大いにあり」な選択です。どの資格とは言いませんが、取得に半年以上もかかり数十万円の資金も必要な上に毎年何千人もの皆さんがそれを目指し、市場に供給される仕組みというのはなかなか凄いことです。大切なのは起業を目指す私たちは「資格ビジネスの顧客」になってはいけない、ということです。

 

起業や複業で目指したい目標がある。解決したい地域課題がある。それならばまずやるべきことは、現場で多くの機会に接し一人でも多くの声を聞き自分自身の実力を磨くことであって、資格取得に精を出しそれがあたかも有益なプロセスにあると自分を思い込ませる事ではありません。

 

厳しい言い方になりますが、資格取得が仮に自身の経験不足を補う安心材料や、または他人からの承認欲求や自己肯定感を高めるツールであるならば、何ら顧客に対して価値提供することは難しいでしょう。なぜなら、顧客の立場からは相手の実力が「本物」かどうかは素のコミュニケーションを通じて、肌感覚ですぐにわかるからです。逆に資格を何も持っていなくとも、確かな知見と磨かれた考えやそれに基づく行動経験を持っているならば、十分に信頼を得て顧客の力となることが可能です。

 

もちろん誤解の無いようにお伝えすると、純粋にその資格取得により得られる知識やネットワークが、ご自身の事業の成長エンジンとして効果的だという一歩引いた目線での客観評価があるならば、一つの自己研鑽として取り組んでいただければと思います。例えるなら読書する感覚で学び、目指す地点の途中経過としての資格が自然と身についていくことは、多いに得るものがあるでしょう。

 

繰り返しになりますが、何かを始めるのに資格は要らないのです。まずは現場経験としてのアウトプットを行なってから、必要なインプットをすること。その選択肢としての資格取得であるならば意味ある有効な武器となるものと考えています。

 

農業でも、基本的には資格は要りません。植えた品種の数や経験した年数だけ確実に腕が上がっていき、より美味しい野菜を作ることができ、口にすることができます。起業も全く同じだと思っています。