skillnoteのブログ

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僕が今、あえて一般職への転換を選んだ理由

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大学で就職活動を経て卒業して、縁あってお世話になった会社で20年が過ぎました。そして7月からこれまでの総合職からいわゆる一般職、正確には地域限定型総合職という立場に転換をしました。
(昔の一般職が数年前に全て地域限定型総合職に変わるという制度変更がありましたので、期待役割の違いこそあるもののいわゆる昔の一般職です)

採用においては昔から総合職には男性が、一般職には女性がという見えない線引きがありました。そして近年では女性活躍支援の流れの中で女性総合職の割合が増えてきたり、更に女性管理職の増加に期待が集まったりしています。同時に一般職から総合職への転換を促したり、一般職自体の活躍フィールドの見直しなど、女性職員の職場における多様な働き方の仕組みが生まれました。

ところが男性職員が立場役割を変更する、という選択肢はずっとありませんでした。雇用機会均等法では採用・雇用における男女の性別を理由とした差異を設けることは禁じられているものの、実際に男性の一般職を採用する企業はごく限られていて、ましてや採用後に総合職から一般職へ転換する道筋はほとんどありませんでした。

そんな中、本人または家族の病気や介護等による「やむを得ない理由」が有る場合という条件付きではあったものの、その長く閉ざされていた扉が開かれました。家族と相談し総合職から一般職へ転換する申請をし、たいへんありがたいことに認めていただくことができました。

そのように決めた直接の理由は、家族の健康問題により転勤(転居を伴う異動)が難しいためでした。落ち着いた子育て環境や通い慣れた主治医の存在無くしては生活そのものが成り立たない。単身赴任では家事育児に関わる私自身の戦力をほぼ失うことになり、家族の負担が増すのみで現実的ではありません。もし仮に転勤の辞令をいただいた際には正直、退職以外の選択肢が見つかっていませんでした。

私たちが働く目的には幾つかあるかと思いますが、食べていくための生活費を賄う、という一つの原点に立つと、いかに無理なくその役割を続けられるかという持続可能性が大切です。子育てや病気や介護など、誰しもがいずれ両立を強いられる状況において、働くこと・稼ぐこととの折り合いをいかにしてつけていくのか、そのために転勤が現実的に難しいとなると、そうでない働き方が必要になります。

最近目にした記事では、女子大学生の就職活動においてあえて今総合職でなく一般職を選ぶ学生がいて、その理由は転勤が無く長く続けられるから、というものでした。長い人生に誰もが出会うライフイベントとの向き合い方を現実的に考えるなら、そういった選択にも合理性があるということになります。

高度経済成長期に大資本へと労働力が集約されて以降、配置転換による従業員の育成や負担の均一化などの理由で当然とされてきた転勤という仕組み。しかしそれはあくまで「会社」から見た側面であり、視点を「働く人」からに置き換えた瞬間、全く別の様相を呈してきます。

皆が我慢すること、耐えること、何かを犠牲にすることで本当に皆が幸せになれたのかどうか。経営の観点からも転勤は本当に必要な仕組みなのかどうか、当然とされてきたものが変化をしていく節目に差し掛かっているようにも思います。

リクルートワークス研究所「Works 134号 転勤のゆくえ」

他方で、人生100年時代を迎えて新たな価値観が生まれています。昨年来話題を集めている「LIFE SHIFT」(リンダ・グラットン他著)にも描かれているように、皆がより長く生きる長寿化社会になると社会保障や貯蓄のみでは到底生活費を賄うことができないので、これまでより長い期間働く必要が出てきます。

「教育→仕事→引退」というレールは崩れ、老後という概念がなくなり70、80歳代まで労働をし対価を得る必要性に誰しもが迫られる時代の到来。だとすると一つの仕事・一つの会社・一つの役割に全てを託して60歳や65歳で定年となりそこから先をあらためて考える、という生き方はリスクの高い、先の見えない選択になってしまう。ある意味これまでと価値観が逆転する世の中が間もなくやってくるのだとも言われています。

そして生涯を通じて働くとなると、単に稼ぐためだけの仕事を長期にわたり続けることは苦痛になってしまいます。自然と、自分が本当に好きで果たしたい役割や生み出したい価値に関する仕事を自らの手で生み出し、稼ぎとやりがいを得ていくことが、生活全体の満足感を得ることになります。それは手仕事や小商いの能力を磨き、実践するという具体的な選択につながります。

あるいは、一つの役割に稼ぎとやりがいを集中することはそこに過度の依存をすることを意味します。そのハシゴが倒れた瞬間に全てを失う辛さとリスク。とすると複数の立場役割を並行しながら、複数の収入源を持ちやりがいを分散することも選択肢の一つとなります。LIFE SHIFTで描かれている「ポートフォリオ・ワーカー」の考え方です。(私自身が目指している、その過程における変化の一つが今回です)

これらいずれのケースも鍵となるのは、自分がどの場所に根を下ろし、地域との関わりの中でどのように生きていくのか、ということです。住む場所というのは人々と関わりを持つ起点であり、そこで得られる人脈こそが新たな価値を生み出す源泉となり、精神的に豊かな生活を手に入れる大切な要素だからです。

私たちが人生を形作る上で唯一の正解はありませんし、人により考え方により選ぶべき道は多様にあります。しかし大切なことは、自分の人生やキャリアの行く末を決めるタクトは自分自身が持つべきものであり、それを他人に決めさせてしまうことは自分の人生を他人に委ねることになる、ということです。

今回の変化が自分と家族にとって人生を自分たちの手で決めていく小さな節目となること、そして同じような価値観を持ちながらこれから決断しようとされている皆さんにとってささやかな後押しとなること、そんな風になれば嬉しいなと思っています。

年下男性を「〜君」と呼ぶより「〜さん」と呼ぶ男性の方が仕事のバランス感が良い件

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ビジネスパーソンの男性が職場の同性の後輩をどう呼ぶか、という話です。社会人になってから20年くらい頭の片隅でくすぶるように気になっていたことなのですが、最近ふっと何かが舞い降りたようにこんな考えに至りました。

・年下の男性を「〜君」と呼ぶ人より、「〜さん」と呼ぶ人の方がバランス感が良い。

ロジカルな証明などそこには皆無です。ただ、過去の何百人、千人もの「先輩」方との会話、接し方、その人の行動特性やチームの雰囲気、その時々の自分の気持ちや行動への影響を思い出すと、揺るぐことのない結論くらいのレベルでそう思うのです。

「〜さん」付けをするというのは、相手を自分と「対等」に見ているということなのです。部下だろうが気心知れた後輩だろうが新入社員であろうが、一定の線引きを持って「あなたを大人扱いしますよ」という気持ちが端的に現れています。だから「〜さん」付けをする人は言葉遣いが丁寧で、それぞれの場面においては優しい印象を相手に与えます。

しかしその反面相手を大人扱いしますので、仕事をきちんと任せて責任を持たせる、言い訳やその場しのぎを認めない、など相手の痛いところにグサリと根本的な言葉を投げかけます。それが長期的には相手の成長につながり、チームの雰囲気をより良いものとし、全体のパフォーマンスが上がることで、その人自身のリーダーシップやコミュニケーションに対する評価は更に上がり、仕事のバランス感覚に優れた人という印象を与えることになるのでしょう。

年下の男性を「〜君」と呼ぶ人の考えは、それはそれとして正当なものがあるのだろう、とは思います。あえてここで紐解く野暮な追求はしません。(「呼び捨て」という方もいますが、もはや論外ですね)

限られた経験ながら私自身は「〜さん」と呼ばれる相手との方が結果的に高いパフォーマンスを自分が発揮してきたように思いますし、また逆に年下の男性に向かって自分からも「〜さん」を意識的に使うようにしています。

さて、このようにして引き続き周囲を観察しながらこの仮説が正しいのかどうか、相手の呼称には他にも大切な要素があるのかどうか、見守って行きたいと思います。

起業・複業と自己実現の微妙な関係

キャリアチェンジとしての起業、あるいは複業による起業ブームが続いていますね。そこで私が大切だと思うことを少し書きたいと思います。

まず、自己実現や自己肯定感を満たすことを当初のきっかけとして事業を起こすのは「アリ」だと思っています。自分を変えたい、自分を取り巻く現状を打破したいというモチベーションは時に「ゼロから1」を生み出す大きなエネルギーとなるからです。

しかしいつまでもそのままの動機づけでは、あっという間に底を打ってしまうのが現実の厳しさです。お客様がサービスの提供者に求めるのは「プロフェッショナルであること」であって、そこには売り手の目的が自己実現なのか何なのか、本業なのか複業なのかも全く関係無いわけです。

ましてや自己実現・自己肯定感を満たすための事業や商品サービスというのは、自然とその事がうっすらと透けて見えてしまうもの。例えば「意識高い系」と揶揄される人は感心のベクトルが相手(お客様)でなく自分自身に向いているゆえ、それに対しての不快感を示されているのです。厳しく事業者として自らを律する目線を持つことが、持続的なビジネスには大切だと考えています。

また、あの人はとても頑張っていて共感するから応援(購入)しよう、は一回もしくは数回以内の期間限定。相手が自ら進んで、大切な友人に自信を持って紹介できるクオリティや満足感を提供することが、真の顧客満足のためには必要です。

・マルシェで手作りクッキーを販売する
・フリマでオーガニックブーケを販売する
・複業で英語の講師をする

例えばこれらがその場限りの属人的な品質に留まるならリピーターは得づらく、価値としても相応の評価しか選られません。

そうではなく市場にある他の同じ商品サービスを強く意識し、大手企業やブランドでは手の届かないディテールにこだわったり、物凄く狭いターゲットに最適化した商品としての品質向上が実現できれば、それは自然と提供サービスの価格に反映します。

ワンコインだから、一回1,000円だから付き合って欲しいの世界から脱するかどうかは、起業・複業が持続的なものとなるかどうかの分かれ目として乗り越えるべきハードルです。価格というのは顧客が示した、サービスに対する価値判断のバロメーターなのです。

そのために何をしたら良いのか、それはサービス提供者である自分自身のみが解決できる問いです。顧客のことを一番に考え日々思考を巡らせこだわり抜いた先に、きっと答えの断片は見つかるでしょう。(それは自己実現のみを目的とするならば不要なプロセスになるかもしれません)

そうして時間が経ちふと振り返ると、当初ビジネスを立ち上げた頃の不安定な気持ちや自己実現を模索していた姿は過去のものとなり、顧客思考のプロフェッショナルとして自立しつつある自分に気づくことができる、そのように感じています。




【7/7(金)】個人事業主(プチ起業)のための発想力・思考力向上講座

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10人中9人が理解し難い話にこそ価値はある

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当ブログが題材としているテーマは見る人によっては、あるいは見方によっては面白くもない小難しい話題ばかり、という印象かもしれません。

しかしとある時に目を留めた書物に書かれていたのは、

10人中9人が理解し難い、取っ付きづらいテーマにこそ価値はある」

なんだそうです。

つまり、皆がパッと見て共感する、あるいは賛同や批判ができるテーマというのは既に一定の議論が世の中でなされていて、それに対する個々の立ち位置や選択肢もある程度整理・提示されている、成熟した分かり易いテーマということになります。

それぞれがスタンスを取りやすいので、誰でも議論に参加できるわけです。切り口が明確であれば持論自説との関連性や、オリジナルの意見も出しやすく、主張も反論も容易です。

他方、まだ課題として世の中で十分に認識されていなかったり、取りうる選択肢が明確でないものというのは、それぞれが実体験や仮説、自頭を回転して論点整理し「自分の意見」を形作る必要があります。

それは大変なことなので、一読してコメントをサラッと入れたり返信したりシェアして意見を加えたり、といったことには向きません。結果としてそれらは理解されづらく反応が見極めづらいテーマ、ということになります。

ブログ運営の目的は人によりますので、不特定多数の方にできるだけたくさん訪れて欲しい場合には、このようなテーマ選定は向かないでしょう。

反面、何らかの意図や目的を持って、詳細まで相手(読者)のイメージを明確化している場合、例えばどんな家族構成でどんな生活をしていて、どこに住んでいてどんな消費行動や価値観で過ごしている何才くらいの男性/女性、といったペルソナを定め、その人たちにどんな影響を与えたいかが明確であるならば、それは10人のうち残り1人が考えつつある思考の中心にグサリと深く刺さるテーマへと変貌するはず、と考えています。

私自身はまさにその後者を想定したコミュニケーションの窓として、このブログを書いています。先日10年ぶりに再会した方から開口一番「実はブログ読んでます。芦沢さん(筆者)はブログ記事を通じ何をされたいのですか?」と問いかけられました。

それは実に良い質問だと素直に思いました。何をしたいのか、という実世界のゴールイメージがあってこそ、バーチャルなwebコミュニケーションが活きてくるからです。

この記事はまさにこの質問を投げかけてくれたその方に対しての回答、として書いています。10人に1人どころか100人に1人に刺さるかどうかなのかもしれませんが、リーチの母数が1万人になれば対象は100人です。100人の心に深く刺さりそれぞれが個々の考えを加えながらインフルーエンサーとして周囲に投げかける行動を取ったならば、小さな半径で社会が変わる契機になります。

働くこと、生きることのバランスと柔軟なキャリア形成のあり方について伝え、行動する賛同者を一人ずつ増やしていくことがこのブログを書き始めた時の目的で、それは今も変わりません。引き続き、10人に1人へ届くメッセージを発信し続けていこうと思います。

人口8,000万人時代のリアル

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人口8,000万人時代のリアル。ほんの50年後に日本の人口は現在の3分の2になり、相対的に高齢化率は上昇する。

3人いたのが2人になり、労働人口割合はそれ以下になる。想像力を少し働かせればこれからどんな変化が起きるかは幾つか推測できる。

不動産価格は下落し持ち家は資産でなく負債になるかもしれない。家賃ではなく管理委託費を家主からいただいて住む形態も近く実現するだろう。

ゴミ収集や水道は公共サービスと並存して民間事業になり、バスやタクシーという概念は無くなり、マイカーへのシェアライドが普通になる。

学校教育も教室に通う形態から自宅学習になり一人の先生が数百人を受け持ったり、学外の専門家が授業に参画する。

日本国内とは逆に世界は人口爆発しており、食べ物の価格や淡水の価値が暴騰する可能性もある。土地を耕して作物や家畜を育てる農耕スキルが生きる上で最上位の価値になるかもしれない。

GDPを目安とした経済成長という目標の置き方自体が、やがては国として適さなくなる。低成長社会というだけでなく、貨幣価値と少し異なる知恵力みたいなものに焦点が当たるように思う。

そうすると自然、資本や労働力の集約が最善の解ではなくなり、会社組織は無くなるかもしれない。小学生YouTuberはバカにした話でなく最先端を走っている可能性がある。

AIや自動化に注目が集まっている反面、こういう人口減社会を生き抜くリアルを想像することも、必要な時期に来ているように思うこのごろだ。

サラリーマン「だけ」の人生では失うかもしれない大切なもの

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さて年度末。転勤や昇進や人事評価や、サラリーマンを取り巻く様々なイベントが目白押しの季節です、ところで。
 
サラリーマン「だけ」やっていても、人生は過ごせます。しかし時間の経過と共に本質的な成長とは別次元のレベルでの、周囲への適応や協調に多くの時間と神経を使うことに気づきます。
 
自分が本当に実現したいことを、制限なく考え実行する習慣を失っていく可能性があります。また、自己に対する評価軸が自分自身の価値観に基づくものではなく、組織の評価軸を知らずのうちに全面的に受け入れている自分に気づく瞬間に出会います。
 
おそらくこれからの社会ではそういった人材価値は長期的には低下していくでしょうし、あるいは会社においてすら突然にハシゴを外されるようなパラダイムシフトが起きないとも限りません。
 
自分の成長に対する責任は自分自身にしかありません。「組織や上司の言うことを聞くこと」が良いことなのかそうでないのか、場面場面で熟慮し、自己の判断軸に従って結論を導くことが大切です。
 
私たちの人生は、私たち自身のものであって、他人のものではありません。過度な適応と協調は、ときに自分の人生を他人に委ねる行為に等しくなります。
 
それらの状況をいかに客観的な目で見ることができるかが、人生という長く大きな時間の満足度を左右するのです。
 
キャリアの複線化に価値がある、というのはつまりそういう意味です。
 
小さくてもいいので、自分の「事業」を持ちましょう、という提案です。大それたものでなくてもいい、カイシャとは無関係の、肩書きのない役割で生み出す何か。
 
すると客観的な目が自然と生まれます。他人や組織を変えずに、自分の視野と思考を変えることのできる、一つのシンプルな解決策なのです。
 
 

コンテンツライティングを手の内に入れたいなら欠かせない5つの行動

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少し大袈裟なタイトルをつけてしまったが本ブログを開始してから4年、月に1〜2本のペースで書き続け、それなりに皆さまに読んでいただきながら続けさせてもらっている。

正直、苦労しながらではあるけれど文章素人の私でも1,500〜3,000文字をコンスタントに書き、文章を通じて何かを伝えることができている要因や行動を振り返ってみたので、少しでも参考にしていただける点があれば良いなと思う。

1.話すように書く
目の前に誰かがいて、その人に話すような意識で書くという意味。話し言葉、書き言葉などの使い分けはあまり考えず、ともかくテーマについて予備知識の全くない人が目の前にいて、その人に5分くらいで伝わるように文章構成をしていく。

そうすると表現が自然と平易になるし、書いている自分自身が読み返しても理解しやすい。書くことに没頭しすぎると、自分自身でも理解できないような表現や複雑な構成になることがあるけれど、それは自己陶酔だし誰にも読まれない文章に価値は与え辛いだろう。

そのためには、いきなり文章を書き出すのではなく、箇条書きで簡単なメモを作ってみると良い。このテーマについてどんな切り口が考えられるか、その事例には何があるか、ざっとポイントを5〜6個くらい書き出す。

そしてコロコロと頭の中でそれらを転がしながら、何から書くか順序を決め、省くことを決め、そして何より自分の伝えたい考えをそれらに織り込み、そこから文章を書き始める。あくまでも目の前に伝えたい誰かが座っていて、話しかけるようなつもりで。

2.気持ちに正直に書く
誰しも経験があるだろうけれど、面白いことを書こうとしたりウケようとすると、まずウケない。飾らない等身大の姿や気持ちに人は共感するからだ。

そしてウソは書かないこと。ウソというのは架空の話というだけでなく、美味しいと思わないのに美味しいと食レポしてしまうようなこと。自分の気持ちにウソをつくと、文体のあちこちにうっすらとそれが現れてしまう。

だから大切なのは、本当に書きたいテーマを発見することにある。今の自分だから書けること、自分でなければ書けないと思うこと、書かなきゃという使命感に駆られるような、そんな熱い気持ちが湧いてくるテーマは何か。

それが見つかれば自然と自分の気持ちに正直に書けるようになり、言葉が内側から溢れ出てくる。

3.批判もよいが、提案も
よく見かけるのが既存の何かを批判することで自分の意見を主張するような書き方。問題提起としてその構図自体はアリなのだけれど、批判に終始することのみではその文章に魅力は伴い辛い。

批判文章は書きやすいし近い意見の人たちの共感も得やすいのだけど、結局それは批判対象に乗っかっているだけで、自らが何かを生み出してしているわけではない。どんな文章にも創造性あってこそ永続的な価値が生まれるものと私は考えているので、もし批判記事を書くならそれと同等のボリュームで自分の対案を併記するのが良いと思う。

過去をざっと振り返っても、批判だけで名を成した文筆家というのは存在しないし、0から1を生み出すことにこそ書き手のクリエイターとしての価値がある。

いや自分はそんな立場は目指さないよという人はいいけれど、書くことで何かを伝えたいと心から願うのであれば、やっぱり批判だけではなくて提案マインドは必須なんだろうと思う。

4.たくさん読む
作家、ノンフィクションライター、ブロガー、何でも良いので手本となる人を何人か見つけて定期的に読むことをお勧めする。私は気になるブロガーさんや文筆家の方々を100人くらいフォローしていて、いやうまいなぁと感嘆すること多数。

直接的に模倣するというよりはとりあえず読んでおくだけで頭の脳のシワの何処かにその記憶が残るので、テーマの切り取り方や擬音、改行タイミングなど文章の引き出しの多様性が自分の中に広がっていく。何でもそうだけれど、良質のインプットあればこそ良質のアウトプットにつながるものだ。

そしてあらためて思うのは、歴史に名を残す小説家・文筆家の文章というのは本当に素晴らしいお手本の宝庫だということ。子供の頃に夏目漱石森鴎外など図書館の端から端まで読み漁ったことが、その後何十年経って「書こう」と自分に向かい合った時に、うっすらとしかし確実に影響を受けていると感じる。

それが流行りのミステリー作家でも良いのだが、ともかく素晴らしい文章に数多く触れることは書く力を確実に引き上げてくれるトレーニングになる。

5.書くことをゴールにしない
書くことも、大きくは数あるコミュニケーション手法の一つ。コミュニケーションの目的は伝わって終わり、ではなく「相手に影響を与え、行動に変化を促すこと」にあると考えているので、記事を書き上げることをゴールにしないことが大切だ。

一日何記事も書けたとしても、そこに生活のリアリティやほとばしる汗や熱い想いが乗っているかどうか。読み手の行動に変化を促すことができるような魅力あるコンテンツというのは簡単には書けないもので、何時間もあるいは何日も産みの苦しみを感じるのが自然なことだ。

そしてwebに文章をアップして一気に注目が集まり話題となるのは嬉しいことではあるけれど、単に読み物としてインスタントに消費されるだけなら書き手としては悲しいことこの上ない。

文章を読んでもらった先に、その人がどんな生活の変化を得られただろうと感じられることの方が何倍も嬉しい。時折、数年前に書いたブログ記事にいいねをしてくれたりメッセージをいただいたりすることがあるけれど「ああこの人に伝わって何か役立てたのだなあ」と実感できる貴重な瞬間だ。

それが私にこれからも一人の市井のライターとして書き続けていこう、とモチベーションを与えてくれる何よりの力になっている。