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「自分は何ができるのか」明確に伝える力が40代サラリーマンを救う

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サラリーマンの40代、というのはどうやら一つの節目のようだ。

 

ごく最近目についただけで、40代を迎えたサラリーマンを憂う記事がこんなにも書かれている。その一つ一つは紛れもない現実であって、それは他人の悲哀でなく自分自身の今日の話なのだと、果たしてどれだけの人が認識できているだろうか。私自身も組織に片足を置いている一人として、自己反省を込め考えを述べたいと思う。
 

管理職が要らない社会

50年後には4,000万人も人口が減る日本において、少子高齢化を加味すると労働人口の減少率は更に顕著だ。単純に働く人が少なくなるのだから、それを管理する「管理職」の必要数は減り、また併せてAIなどの技術革新や組織のフラット化、労働・雇用形態の多様化により、本質的な人員管理に必要とされる管理職の役割は限りなく少なくなるだろう。事実、上記の城氏の記事にあるように、40代以上で特定の技術を持たない人材の雇用を望まない組織は今後も増えていく。
 
はっきり言うと、もう既に管理職というのは誇れる役割でも経験でもないのだ。経営のボードメンバーとして直接的に企業活動を指揮したり、経営企画や人事部門の先頭に立って組織運営の責を担うなど、限られたトップマネジメント経験を持つ人には相応の人材価値はあるのだが、大多数を占める管理のための管理職、組織の中間で上と下を調整する役割は、労働市場においては価値が無いとされている。上記の竹内氏の記事にあるように、そのことを理解しないまま大企業から転職した管理職経験者は、後になってはたと自分への期待役割の薄さとコアスキルの欠如に気づくことになる。
 

「何ができるのか」具体的に説明できる力

ではどうするのが良いのか。やはり何よりも他人に真似できない「特定の技術」を身につけ、磨くことに尽きる。誰しも職業に就いた当初は、その業種や職種に必要とされ、また活躍できるための能力強化に力を注いだはずだ。
 
大きな組織に長年身を置く人は顕著なのだが、せっかく身につけた専門能力がだんだんとその組織に特化したガラパゴス的なスキルに置き換わり、そしていずれは役割の変化と共に管理業務に取って代わり、現場の技術がわからない・社外ではわからない・自分ではできないという状態に陥りがちだ。反面、いつの時代も顧客や労働市場が求めているものは常に「何ができるのか」という具体的な能力であり、またそれを言葉でわかりやすく伝える、説明できる力が私たち労働者には必要となっている。
 

組織に頼らず、自分に頼ろう

もはや私たち一人一人の労働価値は、自分自身が高める他にない。毎日仕事として費やす1分1秒が、本当に意味のある時間なのかどうか。成果が自分の内面に具体的に蓄積されない仕事というのは他人のための仕事であって、価値の薄いものだ。
 
ただ従順に属する組織に成果を置いておくことは、かつてはそれが組織貢献であり愛社精神とされたが、それに報いる信頼関係は既に崩れているのではないか。寝耳に水のリストラや早期退職勧奨の対象に自分がならない保証はどこにもない。今までの延長で「逃げ切りたい」人はそれで良いが、自分が本当にそれを求めているのかどうか、態度を決めることが必要だ。
 
そんな投げかけの始まりは高橋俊介著「キャリアショック」であったと記憶しており、そこに書かれていた来るべき労働環境の変化に恐々としたものだが、その出版から早くも15年が経過した。振り返ると、この15年で社会は確実に変わったのだ。あと変わるべきは、私たち自身に他ならない
 

考え続け、自分の役割を見つける

では私たちは一体、何をすれば良いのか。それには特定の優れた「技術」を身につけることだ。身につけるべき価値ある「技術」というのは何も理系の技術者やIT・webシステム業務に限った話ではない。
 
「営業しかやったことがない」のであれば優れた営業力というものがどんな要素で構成されているのか分析してみるといい。それはどのような手法で身につけられたのか、他人に同じ力を習得してもらうならどんなプロセスが有効なのか、他業種で応用が効きそうな先はどこか、そういう知恵を言葉に置き換えわかりやすくまとめ、再現性を持たせることが出来たならそれは優れた「技術」に他ならない。
 
大切なことは、常に自分の頭で考え続けることだと私は思う。大きな流れに漫然と乗っている日々は楽かもしれないが、その先が滝なのか海なのかもわからないのが今の世の中だ。だから時には流れに逆らい、脇道に逸れ、漕ぎ方を変え、あるいは船を乗り換え、とにかく考えては判断することを繰り返すことだ。ただ組織から与えられた役割に安住していても、何も得ることはできない。私たちの寿命は、組織のそれより遥かに長い。自分の生涯の役割を自分で見つけることができた時はじめて、本質的に自立したキャリアの第一歩を踏み出すことができるのだ。

立場が「上」ならメール返信は疎かで良いのだろうか?

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会社役員

著名人や、なんとか省のキャリア官僚

マスコミの編集部、数あるwebメディア


私自身の、過去数少ない経験では、まともに返信を返してくる割合は、いいところ2割くらい。

例えば、会社役員のメールは短くなくてはいけないルールでもあるのでしょうか?

「了解した、以後◯◯されたし。」
のような返信、受け取ったことありますよね。

暗黙の了解で物事が進むと思ったら大間違い。今の時代、自分の意思をきちんと伝えたいなら、相手が何もわかっていない前提できちんと説明する必要がある。そうでないと、望む結果はいつまで経っても得られないことだろう。その責任はあなたにあるのだと、本当にわからないのだとしたら病巣の根は深い。トップマネジメントこそ抜群のメールコミュニケーションで、部下の見本になるくらいのリテラシーが欲しいもの。

著名人や、なんとか省のキャリア官僚。立場が「上」の人は、メールへの返信すらしないことがある。一体自分を何者だと思っているのか。相手が誰であれ、社会的立場に本質的には上も下もない。ただ、周囲がそのように扱っていてくれているだけ、ということに気づかない、裸の王様になってはいないだろうか。

マスコミの編集部や、数あるwebメディア。取材依頼や売り込み・告知、山ほど届くから返信なんかいちいちできない?そういうものだろうか。担当者一名あたり1,000件も毎日問い合わせがあるなら仕方ないが、いいところ100件とか数百の範囲内だろう。カスタマーセンターが放置したら即座にコンプライアンス問題。その程度の件数の受発信に対応できないメディアは、時代のニーズの上澄みにしか目がいかず、いずれ淘汰されていくだろう。


おしまい。

「副業OK」に舵を切ったロート製薬を全力推しする4つの理由

関西の老舗メーカー「ロート製薬」が従業員に副業を認める方針に転換したことが話題です。記事によると勤務しながら他の企業やNPOに所属することができ、いわゆる兼業の状態を認めた形。その中には恐らく起業という選択肢もあるでしょうし、週末ボランティアとは一線を引く、そして時代の変化を感じる特徴的な判断になりました。

◆国内正社員1500人、副職OKに ロート製薬朝日新聞デジタル

私自身はパラレルキャリアとして「組織人の立場」と「市民活動および個人事業の立場」を併せ持つ働き方を続けています。このように企業が従業員に副業を認める動きには大いに賛成ですが、その理由を端的に4点お伝えします。

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1.従業員からすると自己のコアスキルを磨くチャンス。一社のみのガラパゴスではその価値の良し悪しに気づき辛いが、二つ目の役割を得ることで自分自身の内面に客観性が生まれ、コアスキルをより正しく高める方向でキャリア形成することができる。

2.同じく従業員にとって、正社員であっても雇用の安定性が確保されない社会に今後ますますなっていくので、複数の収入源となりうる可能性のある取組を早期に始めることは人生設計としてのリスクマネジメントになる。今すぐ短期的な収益を求めるのではなく、元の雇用で生活の安定を維持しながら数年かけて二つ目の専門分野を計画的に地ならしするイメージが良い。

3.同じく従業員にとって、一つの仕事や役割への過度の依存を解消するチャンス。退職後も元の会社名や管理職の肩書きに後ろ髪を引かれ自立できない高齢者がいるが、それは一社終身雇用の弊害。複数の立場を持つことで、人生全体と仕事との関係性についてより合理的な理解を得られる。

4.雇用する側にとって将来的には、希望する労働者に副業前提の週3勤務などの体系化による賃金の見直しを行うことで人件費の圧縮が可能。人件費の圧縮は常に企業の課題であり、従業員とのwin-winでリストラと同等の効果を得られる。従業員個々の能力向上により自社のビジネスへもたらされるメリットは属人的な要素が多くまた時間も必要なため、短期的に目に見えたメリットは少ないかもしれない。しかし「社内の常識・社会の非常識」に気づくことで組織運営の健全化やパワハラ・セクハラ・モラハラ等の抑止につながる。

***

もし、サラリーマンの皆さんがこの記事を興味深く読まれたら「うちの会社は副業禁止だから」と反射的に言う前に、しっかりと就業規則の全文を読んでみてください。そもそもの前提として、会社が副業禁止を従業員に強いることが法的にOKなのかどうかは、実はグレーゾーンとされています(憲法における職業選択の自由)。したがって案外「副業禁止」を明記している企業ばかりではない、という実情があります。

そして就業規程の中には「社外での業務に従事する際の規程および申請方法」といった、何らか条件付きでの活動を認めるルールが存在することがあります。企業が副業を避けたい理由の一つは、副業を通じた情報漏えいリスクです。ですから「同業種での副業」は認めていない事が多く、逆に従業員にとっては副業までも今と同じ事をやる動機付けというのは低いでしょうから、他の分野で自分を試したり、新たな専門分野を得るチャンスが生まれてきます。

と、ここまで考えを書きましたが、タイムラインを眺めていましたら副業に賛成の上でこんな意見もありました。

・「副業なんて勝手にやればいい。僕も休職中に月20万くらいニュースサイトで売上立つようになって辞めた」(ニュースサイト「Mynews Japan」オーナー 編集長 渡邉正裕さん)

・「副業するなら、会社に隠れてこそこそやったほうがいい。会社は知っても素知らぬふりをしていればいい。そういう緊張感があるから、副業と本業をいかに効率的にやるか考える。認めたら、どっちも中途半端になるから意味がない」(「アナーキーマーケティング」の加藤元康さん)

このどちらの意見も、的を得ているなぁと思います。つまり、周到に環境を整えてから新しいことを始めるのと、情熱の赴くままにとにかくやってみるのと、どちらが求める姿に早く近づけるかというと圧倒的に後者でしょう。

しかしながら既存のルールが自由な行動を縛っていることも事実なので、限られた人だけがトライするのではなく、普通のサラリーマンがこれまでと異なる一歩を踏み出せるよう支援していくことには、やはり大きな価値があるのだと、私自身は思うのです。

【3/12土】起業女子のための「プロブロガーのweb戦略」&「開業のコツ」セミナー

このたび、起業間もない方やこれからの方、パラレルキャリアでの活躍を目指す女性の支援を目的としたセミナーを女性起業家さんとのコラボで開催します。それぞれのスキルアップと共にこの機会が関心のある皆さん同士の交流のきっかけとなることを目指しています。

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当日はプロブロガーのオカベテルマサさんによる「ブログと SNS で差をつける!実践型 web 活用セミナー」や行政書士で労務コンサルタントの本多夏帆さんによる 「行政書士が語る、女性起業家開業のコツ」 という2本のミニセミナーの他、フリーランスやパラレルキャリアで取組む皆さんやこれからの目指す方の悩みや喜びについて、気さくに「ワールドカフェ」形式で語り合う時間をご用意しております。またこれから起業する方の具体的な支援サービスとして「バーチャルオフィス・Liberty」の仕組みをご紹介します。

先着15名限定での開催としています。こちらのURLより詳細をご覧いただき、ぜひお越しください。皆様とお会いできることを楽しみにしています。

【3/12土】起業女子のための「プロブロガーのweb戦略」&「開業のコツ」セミナー http://www.kokuchpro.com/event/b9233b9106156136660d618e7b468a48/

♦︎プログラム♦︎

 1.オープニング
バーチャルオフィス”LIBERTY”と起業家ネットワークのご案内 STREAMS 代表 青山加奈

2.ミニセミナー① 
「ブログと SNS で差をつける!実践型 web 活用セミナー」 プロブロガー・OREGADGET編集長 オカベテルマサさん

3.ワールドカフェ形式で楽しむトークの時間フリーランスの楽しみ・悩み」 PR プランナー大山夏希、プレゼン技術コーチ・スキルノート代表 芦沢壮一

4.ミニセミナー②
行政書士が語る、女性起業家開業のコツ」行政書士・Office Breath代表 本多夏帆さん 

5.シェアタイム -振り返り・今後に向けて

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死んだ魚の目をしているのは満員電車だからでも、サラリーマンだからでもない、という話

最近、朝の通勤電車に乗っているサラリーマンはどうやら「死んだ魚の目をしている」ということになってるらしい。

これは就職前の大学生からの、素直な意見。そういう人たちになりたくないと否定しながらも、近い将来の自分を見るようで不安なのだろう。

社会人諸先輩からの反論も多数あるようだが「死んだ魚の目」であることは認めている感じ。こちらは仕事スイッチオンする前だから電車内はオフモードなんだよ、という説明。なんとなくわかる気もする。

さて、僕はあえて異なる視点を提示したい。結論から言うと「死んだ魚の目」をしているサラリーマン本人も、それを嫌だという大学生も、それに反論する大人も、その多くは「キャリア形成と職業との関係」を大きく誤解しているということだ。

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わかりやすく言うと、自分がどんな職業に就くか、あるいはどの企業や組織に属するかどうかは自分自身の本質的なキャリアの中心ではなく、単なる「居場所や役割のひとつ」に過ぎない。

キャリアの軸を作る順序というのは、まず自分がどうありたいかというビジョンを持ち、それを実現するための知識・スキルを整理し自己の努力で習得し、それを発揮しながら伸ばすために適した場を見つける、という流れが本来あるべき姿。

職業や役割が自分を成長させてくれる、というのはある面では甘えであり、誤解。効果の一部ではあるが、それが全部じゃない。まずは個として揺らぐことのない自分の価値を、自分自身で磨くプロセスが大切だ。

さらに加えて言うならば、仕事に過度の「やりがい」を求めるのも必然ではない。基本的には食べていけるだけのものを稼げれば、それで十分だ。"ライスワーク"に"ライフワーク"を重ねるかどうかは本人の自由であって、皆がそうしなきゃいけないわけではない。

「たった一つの役割」に自分の全てを背負い込んでそれが自分のアイデンティティとなったら、そりゃ死んだ魚の目にもなりますよ。自己実現のため、会社のため、家族の生活のために毎日毎日電車に乗り、体調が悪かろうが上司が嫌な奴だろうが、後輩に出世を先んじられようが、慣れない積雪で電車が2時間遅れようが職場に向かう、それが自分のやるべきことだ、と催眠術にかかったように日々を過ごしている人々のなんと多いことか。

ちょっと一回立ち止まって、ゆっくりお茶でも飲んで、落ち着こう。僕たちの役割は何なのか。社会規範や学校教育や親の視線や、それらを通じて幼い頃から刷り込まれ、思い込まされている「幻の大人像」の存在に気づくことができたとき、縛られることの無い本当の自分の生き方を見つけられるだろう。

僕は「死んだ魚の目」というとても語感の悪いコトバを世の中から消し去りたいと考えている。それにはただ一つ、主体性を磨くことだ。とてもシンプルなことだけど、難しい。目先の損得や他人との比較、形だけの満足感、"普通"であることへの固執、周囲からの評価、そういう意味のないことを「意味がない」と切り離し実際に行動すること、それが主体性。

それができたら、もうその目は進むべき道を見定めた、活きた目になっているだろう。それがたとえ職場に向かう満員電車の中にいるサラリーマンであったとしても。いつも、日々を変えることができるのはただ一人、僕たち自身だ。



サラリーマンの出世レースから降りて良かった5つのこと

私は現在サラリーマンの仕事と別に、コミュニケーションやキャリアに関するセミナーの講師をしています。最近少しずつ聞かれるようになった“パラレルキャリア・パラレルワーク”という働き方、生き方です。そんな形に切り替えて3年ほどが経ちましたが、続けてみてとても良いなあと感じていることを今日はご紹介します。

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1. 健康になった

そもそも、このような働き方に変えたきっかけは健康問題でした。10年ほど前に人事異動を機にメンタルヘルスを崩し、休職とリハビリ勤務を経験しました。当時の詳しい経緯は過去記事に記載していますが、ともかく職場に復帰した時にそれまでのワークスタイルを見直すことにしました。

具体的に変えたことは「残業をしないこと、付き合い酒を断ること、組織の仕事に依存しないこと」の3つ。評価や上司・同僚の視線を気にしていては再び消耗していくように感じ、健康を取り戻すにはとにかく早く帰って寝よう、と割り切りました。何らかの精神疾患を経験すると「睡眠」の重要性に気付かされるのですが、良質な眠りを毎日確保できるかどうかがメンタルヘルスの維持には欠かせません。残業や付き合い酒を止めることで肉体的にも負担が減り心身が健康となり、心のゆとりも生まれました。

しかし残念ながら多くの伝統的な日本企業では発揮した成果よりも、時間的な貢献がその人の仕事の評価や人材登用につながります。ま、それは要らないやと選択することで、自然と出世レースから降りることになりました。

2. 地域の知人が増えた

平均21時退社を3時間縮め月に2回程度の飲み会を断ると、なんと毎月約70時間を確保できます。その時間を何に使うかはその人次第で、例えば習い事やジム通いをしても良いと思います。私の場合はずっと以前から実現したいと考えていた、コミュニケーションやキャリアに関するセミナーを事業として形にし、地域社会にも役立てるような形作りを始めることにしました。始めた当初は無名で実績もありませんし、所属も肩書きもない自分がなかなか相手に受け入れてもらえないことを痛感する日々。ああ、今までは組織の名刺で仕事を“させてもらっていた”のだとそこで初めて知ることになり、「個人事業者や起業家って凄いなあ」と心から尊敬するようになりました。

同時に、毎朝都心に通勤しているだけでは決して出会えない地域のユニークな仲間が日に日に増えていきました。プロブロガー、兼業主夫、バルーンアーティスト主婦、市議会議員、PTA役員、自分と同じようにパラレルキャリア・パラレルワークな人々など。今更ながら人と出会う素直な喜びに気付きましたし、ネットワークに飛び込むことで自分の活動領域も広がっていきます。自分はこの地域に暮らしているのだなあ、という実感を初めて得ることになりました。

3. 家族と仲良くなった

個人の事業を始めた当初、子どもは幼稚園児と乳児。実際には空いた時間はまずは家事育児に振り向け、それでも何とか確保できた時間を自分の活動に充てました。おそらく以前のままの働き方や価値観のままでは妻に子育てのほぼ全てを委ねていたでしょうし、子どもたちと共有する時間を今ほど大切だと理解することはできなかったでしょう。

日本の男性が家事育児に関わる一日あたりの平均時間はたった1時間7分だそうで(出典:内閣府 平成25年度男女共同参画白書)、それは諸外国の半分から三分の一の少なさです。育メンがスタイルとしてもてはやされることは素晴らしいですが、実際に家事育児にどれだけ時間を使ってるかという「質より量」を大事にすることで、家族と仲良くなれるのだと実感しています。

4. 時間の使い方が上手になった

結局、何だかんだとても忙しい毎日です。ブログの記事を一本書くのにも、落ち着いてカフェで思考を巡らせて、なんて夢のまた夢。家事育児と勤めの仕事を片付けるすき間の時間に、思いつくことや実現したいことを書き出し、アイデアをひねり、徐々に形にしていきます。

移動時間は貴重な作業時間になりましたし、土日の過ごし方は遊びも含めて2ヶ月くらい先まではある程度計画しておきます。10分間が貴重だと身に染みて思うと、限られた時間の中で逆にアイデアや良い文章が生まれてくる不思議を感じています。

5. 定年や老後が怖くなくなった

そうして日々過ごしているとワクワクが増えました。ありがたいことにセミナーの受講者から新たなネットワークへのお誘いをいただいたり、地域の子育てサークルからファシリテーターとして声がかかったり、予想外のコラボの計画が持ち上がったり。

定年とか老後という概念は実は最近のもので、サラリーマンが働き方の主流となった高度成長期以降、ここ半世紀のことです。それ以前はほとんどの人々は一次・二次産業に従事し、それぞれが手仕事を持って生涯現役が常だったのです。個人の想いを事業という形にすることで、定年や老後という線引き自体を意識しなくなりました。

*****

最近は、サラリーマンのパラレルキャリア・パラレルワークを能力開発の有効な手段として価値視する見方も出てきました(参考:Works133号「副業=複業に人事はどう向き合う?」 リクルートワークス研究所)。成功や効率をただ盲目的に求めるのではない、しなやかな生き方を選択する人が確実に増えてきています。

社会が本当に変わるのにはまだ数年はかかるのでしょうが、今後も一人のパラレルキャリア・ワーカーとして自分の価値観に正直に行動し、自分に近い半径から少しずつ良い変化を起こしていきたいと思います。

地方に移住すれば何かが解決する、という誤解

最近、田舎に移住してwebで年商2,000万だとか、そこで有料記事を書き一ヶ月足らずで60万売り上げたとか、そういう話が目に入ってくることがある。これはそれぞれの価値観の話であるし、人の価値観は他人により否定される類のものではないので、あくまで私自身がこうありたいと思うことを記してみることにする。

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本来、収入の額を誇ったり他人と比較する行動というのは自分自身の本質的な充足感とは対極にあるもので、そこに神経をすり減らし消耗しても何も得られない。対照的に経済的な尺度ではない自然から得られる価値にスポットライトが当たり、いま自然に寄り添うライフスタイルが注目されているわけだ。

現状の課題として、都市特に東京に一極集中した人口の偏りが社会を不安定にしている側面はあるので、それを分散化させる方向での政策には一理あるし、自然災害への適応という意味も含めてその方向に動いていくことは良いと思う。しかしながら直ぐに大人数の地方移転が現実化するものではないので、「都市か地方か」の議論の押し合いをただ重ねても問題解決は一向に進まないと考えている。何よりも私たちのごく日常の生活、消費行動やその源にある価値観の見直し・転換という面からアプローチしていくことが大切だ。

周囲を見渡すと既に様々な課題が私たちを取り巻いているのに、表層的な幸福感や利便性で感覚を惑わされていると感じる。

amazonで何でも買えて、当日配送すらしてくれる

・100円ショップには、普通に考えて採算の取れないモノがあふれている

・どんな食材なのか、300円を下回る弁当が売られている

・真夜中にもコンビニが空いている

昔から悪貨は良貨を駆逐すると言うが、安さ早さの提供合戦、チキンレースの先には恐らく持続可能な社会の実現は無いだろう。モノを得るには相応の対価をきちんと支払うことで生産・流通が健全に成り立ち、ひいては消費者も安定した恵みを享受できる。

田舎に住むことの良い点の一つは、こういった表層的な幸福感、過度な安さや便利さの追求を切り離しリセットできることにあるように思う。自分自身、農村の外れに生まれ育ち小学校は1クラス、閉鎖社会とも言える地域に高校卒業するまでの18年間身を置いた。コンビニが出来たのは18で実家を離れた数年後だったし、最も近いマクドナルドまでは車で30分ほどかかった。野菜は自宅前の畑の脇に設置された無人販売に並んでいるキュウリや白菜で足りていたし、そもそも貰った小遣いを使う店やサービスが小さな一軒の駄菓子屋以外に存在していなかった。

しかしそれが良いことだ、とは住んでいる当時は全く感じることはなかった。田舎いいねぇ、というのは都会暮らしを知っているから言えるのであって、田舎に居続けていたらそんなことは微塵も感じられない。都会での情報へのアクセスの便利さと窮屈さを知って初めて、それが無いことの心地よさを知ることになるのだ。

何が言いたいかと言うと、もしあなたが幸いにして地方に移住し満たされた生活を実現したとして、そのことを声高らかに他人に誇ったり押し付けたりする話ではないということだ。せっかく地方に移住したならば都会にいた時と同じような貨幣価値を追うことをやめ、経済的な尺度では計れない自然の価値を受け入れるのが良い。そして間違っても他人と比べてどうの、なんてつまらない満足感で自分を満たさないこと。自分が自然に囲まれ満たされた姿を見て「いいなぁ」と感じる人が出てきて、少しずつ良い影響が周囲に広がっていくことが、幸せな解決への道のりではないだろうか。

そして様々な事情で都市に居続ける私たちは、田舎に移住しなくたってやれること、変えられることは山のようにある。消費の仕方や働き方も、自分次第でどうにでも持続可能に変えられる。横並びから少し外れるとあれこれ言われるからやらないのではなく、率先してレールから外れてみる。皆が「普通」と思い込んできたコアの中身は実は空っぽで、それぞれがそれぞれに異なる理想の生き方、働き方があるはずだ。それを求めていく先にこそ、今の世の中の様々な問題を解決するヒントがあるものと私は考えている。




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